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これぞ大関相撲!

大相撲7月場所2日目、大関朝乃山関は遠藤関と対戦しました。立ち合い両手をつき!『どこからでも来い』とばかりに余裕のある立ち合いは、朝乃山関独特の立ち合いで、左上手を引きつけると一気の寄りで圧勝しました。これまでの3勝6敗の成績から「苦手の遠藤戦」と言われてきましたが、決してそうではなく2勝6敗までは遠藤関の実力が勝(まさ)っていただけのことであり、今は朝乃山関の実力と地位がそのまま勝ってしまっただけのことなのです。地位が自ずと真の力と人格をも具(そな)えるのです。勝負が決した時に、それをまざまざと感じ取った次第です。大関朝乃山関はコロナ禍について「今は辛抱です」と一言語りかけてくれました。もちろん僕も同感です!大関朝乃山関のように今!自分がしっかりと出来ることをやるだけのこと。昨日の一番!これぞ大関相撲!強い力士、朝乃山英樹関の相撲です。


新大関登場

19日、待ちに待った大相撲7月場所が開催されました。「最後は大関朝乃山!富山県出身、高砂部屋」のアナウンスに感極まってしまいました。4分の1となる2,500名の観客動員数にもかかわらず大きな本当に大きな拍手にも感動しました。新大関の誕生に向けての大きな拍手は、次の横綱を待望しているからに他ならないと思います。朝乃山関の初日は先場所準優勝の隆の勝でしたが、難なく完勝!余裕さえ感じさせる一番でした。今日の対戦はお隣り石川県出身の遠藤関!見ごたえある一番です。「頑張れ~っ!!朝乃山関ぃ~っ!」^^


いよいよ7月場所です

2020年3月25日大阪市中央区の高砂部屋で大関昇進の口上を伝えてから4ヵ月余り、ようやく大相撲7月場所が19日(日)から開催されます。「無観客」ということでしたが、検討を重ね2500名の観客を迎えての開催となります。昇進して4ヵ月の新大関朝乃山関の活躍はもちろん!序二段まで降下した元大関照ノ富士関や新入幕の琴勝峰関の活躍にも期待が高まっているところです。コロナ禍の影響で世の中が変化して、今まで当たり前であったことが大変革となり、少しずつその大変革が身に付いてきています。大相撲もすべてにおいて大変革の7月場所、9月場所、11月場所となり得るのかもしれません。何故か不思議とそう思います。写真は8代横綱不知火諾右衛門(熊本)です。大坂相撲から江戸相撲に引退後は大坂相撲に戻った経緯があり、横綱ではありましたが関脇に降下するなど不明な点の多い力士でした。


高砂部屋頑張れ~っ!!

幕下の弟弟子、村田に稽古をつける部屋頭大関朝乃山関です。膝の大ケガで幕下筆頭から序ノ口まで降下した経験がある苦労人です。幕下時代に炎鵬との一番は誰もが目にした一番!破れはしましたが、とても印象深い相撲でした。膝のケガがなかったら幕内力士として活躍できていたと僕は思います。兄弟子の大関朝乃山関も「うちの幕下のホープを早くあげないといけない」と白廻しを増員すべく稽古をつけておられます。村田の次には寺沢、朝興貴、朝鬼神、ホープがあとに続きます。高砂部屋頑張れ~っ!!!いよいよ19日初日です。国技大相撲万歳!


横綱太刀山の功績

今日の北日本新聞(社会)24ページに『太刀山(呉羽出身)高砂部屋救う』「窮地打開へ弟子譲る」(朝乃山と不思議な縁)と題して大きな記事が載っていました。明治~大正期に活躍した第22代横綱太刀山峰右衛門が高砂部屋を救済しなかったら、朝乃山の四股名は生れなかったと思われるのです!以下、北日本新聞さんより引用転載させて頂きます。(転載開始)大相撲の朝乃山(富山市呉羽町出身、高砂部屋)が大関まで駆け上がることができたのは、故郷の大先輩のおかげだったのかもしれない。1911(明治44)年に第22代横綱となり11度優勝した同市呉羽地区出身の太刀山は、大正期に跡目争いが起きた高砂部屋の危機を救っていた。朝乃山が相撲を始めたのは太刀山の名が付いた道場で、出身大学は現高砂親方の母校。同郷の朝乃山と太刀山は、不思議な縁で結ばれている。

 

高砂部屋によると、部屋が創設されたのは1878(明治11)年。師匠の初代高砂の下、明治中期から後期にかけて第16代横綱の西ノ海、第17代横綱の小錦らを輩出し、角界にその名をとどろかせた。だが、1914(大正3)年に2代目高砂が亡くなった後、後継者に内定していた小錦も急逝したため、跡目争いが起きた。敗れた元関脇の綾川は、同郷の津軽出身力士たちを引き連れて出羽一門へ移籍。跡を継いだ元大関の朝潮(3代目高砂)の下には半数ほどしか力士が残らず、部屋は窮地に追い込まれた。このピンチを救ったのが太刀山だった。引退した18年に親方となって東関部屋を興した太刀山は、勝負審判を決める役員選挙に落選したことをきっかけに翌19年に角界を去った。その際、仲の良かった3代目高砂に全力士36人を託した。その中には後に大関となる太刀光がおり、太刀山の行動が部屋の復活とその後の隆盛につながった。朝乃山は、太刀山の遺族の寄付金で富山市呉羽小学校に造られた「太刀山道場」で相撲を始めた。富山商業高校から進んだ近畿大は現高砂親方の母校でもあり、高砂部屋から訪れたスカウトの目に留まった。力士同士の仲が良く、和やかな雰囲気の高砂部屋について、朝乃山は「自分に合っている」と話す。太刀山が手助けし、142年続く部屋の歴史を、朝乃山が部屋頭として受け継いでいく。「石黒航大」(転載終了)

 

本当に不思議な縁だと思います。富山の英雄!太刀山の縁があって現高砂部屋が142年の歴史を刻んでいる。そこに同郷同地区の朝乃山の登場!これはもう横綱に昇進せんといかんですよ「朝乃山関」!横綱太刀山にもう一歩近づいてください。頑張れ~朝乃山関。

 

北日本新聞の石黒航大記者!本当にすばらしい記事をありがとうございます。しっかりと胸に刻んでこれからも応援したいと思います。また富山の英雄の記事を楽しみに待っています!よろしくお願い致します。

 

柴田佳一 拝、


大関朝乃山関の活躍に期待!

大相撲7月場所は、来たる7月19日に無観客で行なわれます。新大関朝乃山関が初めて姿を現すことになります。大関貴景勝はカド番の場所!両横綱も35歳を過ぎており、日本人の横綱誕生を待ち望む声が高まっていることは間違いありません。相撲解説の舞の海さんが仰っていたように、朝乃山関は、大相撲の救世主となる日本人横綱となってくれると信じています。大関で2場所連続優勝!それに準ずるものが横綱昇進の規定です。大関朝乃山関の活躍に期待がかかります。上の写真は、我が家に45年前からある初代横綱梅ケ谷藤太郎の土俵入りの錦絵です。将来!横綱朝乃山英樹の錦絵が欲しいなあ。何て一人呟くのでした。^^


四股名(しこな)の力!

今では大関朝乃山関ですが、これは幕下優勝をした17年1月場所の写真です。まだ髷も結えないザンバラ頭が今では懐かしい感じですね。近大相撲部で鍛えられた体格の良さはやはり!努力の賜物です。当時は、同期で三段目最下位格からスタートした小柳(現豊山)が先んじて出世をしていましたが、この幕下優勝の前後から、何か雰囲気が違ってきたように思いました。高砂部屋の代名詞である「朝」と恩師の名を頂いた「山英樹」の『朝乃山英樹』という四股名は彼をまた護るように大きな力を与えたのだろうと僕は思います。益々相撲を愛し、正義を全うし、一生懸命努力すれば「日下開山」『横綱』に大きな力で、一気に引き上げられる気がしてなりません。「頑張れ~ぇ朝乃山関ぃ~っ」^^


朝関にもう一つの金星を

2019年9月場所5日目、横綱鶴竜を寄り切りで破り、初金星をあげた朝乃山関です。このとき西前頭2枚目で10勝5敗!2度目の殊勲賞を獲得しました。今では大関なので横綱に勝利しても金星ではありません。金星は三役以下の力士が横綱に勝利した場合にのみ加算されるものです。ですから富山の星!朝乃山関の金星は鶴竜関に勝利したこのときのみなのです。横綱鶴竜関には不戦勝もありましたが、不戦勝は金星とはならない規定があります。今回は、朝乃山関の金星についてお伝えしましたが、実はもう一つの金星を朝乃山関にあげてもらいたいのです!「金星」とは、三役以下の力士が横綱に勝利すること。もう一つは美しい女性を指します!美しい奥さんを迎えて益々、朝乃山関には頑張ってほしいと強く願っています。「朝乃山関!頑張ってもう一つの金星を目指せぇ~っ!」(余計なお世話かな)^^


越中富山の名力士

一時代を築いた越中力士の写真です!向かって右から関脇玉椿憲太郎、横綱梅ケ谷藤太郎、横綱太刀山峰右衛門、小結緑嶌友之助です。右の玉椿は158cmと小さいながらも横綱常陸山に最も恐れられた名力士!左の緑嶌は、あの大横綱双葉山や横綱羽黒山を育て上げた名師匠なのです!この写真は本当に貴重なものなのです。5月場所は緊急事態宣言延長に伴い中止となりましたが、いずれ神風が吹き一掃されることでしょう。朝乃山関をはじめとする越中富山の力士みなさんの健闘を写真の名力士と共に応援しています。「どすこい!おらあ~っ」^^


富山の英雄

富山県富山市呉羽町出身、第22代横綱太刀山の横綱土俵入りの勇姿です。富山の星!大関朝乃山関もこの太刀山の雄姿が掲げられる土俵で稽古に励み、尊敬の念をもって精進してきたのだとお聞きしています。「一突き半」で相手を土俵の外に出してしまうものですから、相手に恐れられていたそうです!「仏壇返し」の荒技も一瞬の勝負で決します。あの板垣退助が惚れ込んで入門を迫ったという力士なのです。僕の住む砺波には「太刀山」というお酒がありました。凄い横綱だったのです!正に富山の英雄。大関朝乃山関があとに続きます!^^