楽しくあれ
僕は今61歳!僕らの年代は『がんばれ・頑張れ・ガンバレ』『頑張らないからダメなんだ』『もっと頑張れただろ』という声が四方から聞こえていましたし、僕自身も同じように言っていたと思います。部活動のときなども『水は絶対に飲んではいけない』など!全く根拠もないことを思い込み、只管に我慢していた年代だといえます。だからいつも変な風に力が入り過ぎてしまい!そのことに気づけず、逆にストレスを溜める要因となっていたのではないかと思うのです。還暦を過ぎて、ようやく気づいたものですから、先日のブログ「伝えてあげたいこと」で、無理しないで!頑張らなくていいよ!ってお伝えした次第です。もう一度お伝えします。新入生のみなさん。そして新入社員のみなさんにひと言。「そんなに無理して頑張らなくていいよ!無理をせず力を抜いて、そして楽しくあれ!」^^
巴御前の生涯
木曾義仲公が巴御前に落ち延びるよう命じているところです。義仲公は、自害する場所を探していた処!馬が湿地に脚をとられ、そこに矢が放たれ絶命したと伝わります。巴御前は義仲公の命を受け落ち延びましたが、鎌倉の頼朝に呼び出され和田義盛の妾となります。『鎌倉殿の13人』のひとりですが『武骨さ』を和田義盛にも感じています。和田合戦の後に源平合戦俱利伽羅峠の戦いで共に戦った石黒氏を頼り、越中國福満(富山県南砺市福光町)に身を寄せ、尼となり木曾義仲公と和田義盛の霊を弔いながら91歳の生涯を終えたと伝えられます。「巴は義仲に従い源平砺波山の戦の部将となる 晩年尼となり越中に来たり九一歳にて死す」(巴塚碑文)木曾義仲公は31歳の生涯であり、巴御前は義仲公の分まで懸命に生き切ったのだと僕は思います。そして青木崇高さん秋元才加さんお疲れさまでした。
伝えてあげたいこと
白ツツジが、ほのかなピンク色をやさしく包み込んでいるのを目にして、傘をさして雨の中!撮ってきました。雨に打たれ、少し俯きながら雨あがりを待っているようです。それを見て『あんまり頑張らなくてもいいよ~っ』って思いました。今日で4月も終わり、明日から5月。新入生や新入社員のみなさんにも「そんなに無理して頑張らなくてもいいよ~っ!あんまり頑張り過ぎないようにね~っ」と伝えてあげたいです。^^
5月の新月と満月
それでは毎月恒例の翌月の新月と満月をお伝えしたいと思います。5月の新月は2回あります!それは1日(日)5:28と30日(月)20:31です。満月は16日(月)13:15です。カレンダーに書いておくとお役に立てると思います。『どうも昨日28日から忘れっぽくて、やる気がしない!ボーッとしたり、反対にイライラしたりするんです』という声や『頭痛が続き、寝込んでしまう』という声もお聞きしています。敏感な方は2.3日前くらいから宇宙と一体化してるんです。頭痛がある場合はお薬の処方が必要ですが、なかなか効かなくなることもあります。このような場合!僕たちは「ハチマキ」をおススメしています。熱のあるときは、空色(スカイブルー)を、そして熱がないときは草色(グリーン)か紫色がよろしいかと思います。映画などで病気で臥せっておられる殿様が紫色のハチマキをしているのをご覧になられたことはあると思いますが、正に理に適う日本的な方法なのです!頭痛がお辛い方は是非!行なってみてください。ご家族さまやパートナーの方にも、このことを理解して頂ければ幸いです。どうぞお大事に、そして今日も楽しい良き日でありますように。^^
ばあちゃんの部屋で
朝からたくさんごはんを食べ、そして廊下でボール遊びを『ハアハア』ってなるまで続けた七ちゃん!疲れて、ばあちゃんの部屋でぐっすりと寝てしまいました。ばあちゃんが庭を眺める為の椅子の上に飛び乗り、そしてこの状態なのです。安心しきって寝ている七ちゃんを見て家族み~んな癒されていま~す。「七ちゃん!いつもありがとうね」^^/
富山から日本の星に
5月場所の番付発表で朝乃山さんは西幕下42枚目になりました。この5月場所が休場6場所目となり、7月名古屋場所に三段目からの復帰となります。平成28年3月場所に東三段目100枚格付出でデビューして5勝2敗だったことを思い出します。この写真は、平成29年初場所で、西幕下7枚目の石橋が13日目、モンゴル出身東51枚目の朝日龍との6戦全勝同士の幕下優勝をかけての一戦。全く相手に相撲を取らせず寄り切って優勝!関取の切符を手にしたときのものです。富山県民が待ちに待った瞬間で、今でもあの胸の熱き思いは忘れません。花の大関から一転!黒廻しを締め、部屋の雑用もこなしているとお聞きしています。「朝乃山さん、もう少しの辛抱です。今まで以上にずっと!ずう~っと応援しています。富山の、いや、日本の星になってくださ~い。ぐわんばれ~えっ!」^^
鵯越え
1184年3月、摂津國福原及び須磨で行なわれた源平合戦のひとつ一ノ谷の戦い。平家軍が陣を張るのを見おろす義経です。あり得ないことに、この断崖を駆けおり、平家軍を圧倒します。後白河法皇との謀略もあり武士として、義仲公だったら「義」は何処にあるのか?と激しく詰問されそうな気がしています。断崖を駆けおりたとされていますが、当時の馬は今のようなサラブレッド種ではなく、小さい馬!ロバくらいでしょうか!?埼玉県深谷市にある馬を背負う畠山重忠の銅像は、馬がサラブレッド的な大きさなので、力強さを感じます。しかし大きすぎて駆けおりることは難しいと思います。小さい馬だからこそ鵯越えの逆落としが出来たのだと僕は思います。だけど、凄いですね!!
義仲公は益荒男です
昨日は、小矢部市ゆかりの旭将軍木曾義仲と巴御前をテーマとした「木曾義仲×巴御前プレミアムトーク」がクロスランドおやべで開催されました。NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で義仲の青木崇高さんと巴の秋元才加さんが、義仲の魅力について語られました。青木さんは「知的でかっこよく、歴史的に評価されるべき人」秋元さんは「真っすぐで筋を通す姿は美しい。巴御前としてお仕えできるのは幸せ」と。最後に義仲が挙兵の際に言った「これは正義の戦である。義は我らにあり」と、木曾義仲公になり代わり、青木崇高さんが叫びプレミアムトークを締めくくりました。やはり今を時めくお二人に一目会いたいと850人が足を運ばれました。僕も851人目になりたかったなあって思いました。最後に僕もなり代わってひと言!『褒美など要らぬ、武骨者で何が悪いっ』義仲公は益荒男です。