昨日の3月20日(水)春分の日は妻の実家で、田んぼの下準備でトラクターに乗って周りの溝を掘ってきました。掘り切れない所はスコップで掘り起こします。結構いい汗をかきました。これからは益々忙しくなりそうです。
一段落して、まだ読んでいなかった新聞をみて心に響く記事がありました。
2013年3月20日水曜日 北日本新聞の社会面(34)です。
お伝えしたくて! ―転載開始―
ずっと伝えたかった(3) 出会い どうしてわかるの?
<ぼくは いしきがあります わかっているのに わからないと おもわれてきた これからはたくさんはなさなければなりません>
波打つフェルトペンの筆跡から、強い意志が伝わってくる。
遷延性意識障害の中島基樹さん(31)=高岡市木津=が先月自らの手でつづった文章だ。20歳の時に心臓発作で倒れ、声や体の動きを奪われた彼が再び意思表示の方法を手に入れたのはことし1月のこと。ある出会いがきっかけだった。
昨年11月、中島さんの母の依子さん(62)は、一つの新聞記事に目を奪われた。わずかな筋肉の動きを拾う特殊な器具を使うことで、文章を書けるようになった重度障害児を紹介していた。「もしかしたら基樹も・・・」。この手法を考案した国学院大の柴田保之教授(障害児教育学)に連絡し、自宅に招いた。約束の1月6日。教授は早速、器具とそれをつなぐパソコンを取り出した。画面には50音が表示され自動的に動くカーソルが示す文字の音声が流れる。思い描いた文字に反応する体の動きで、文字を選ぶ仕組みだ。
教授が中島さんの利き手の左手に器具を当てると、文字は次々と選ばれていった。
<なかしまもとき どうしてわかるのですか ちいさいちからでつたわるのでうそみたいです>
そばで見ていた両親は半信半疑だった。教授が文字を選んでいるようにも見えたからだ。「手は間違いなく動いてますよ」。教授は両親に筆談を試すよう勧めた。
父の利明さん(64)は言われるまま中島さんの左手にペンを固定し、自らの手を添えた。「今、何歳?」と問い掛けると、わずかに手を押す力を感じた。「IE」。その力に任せて書いた線は一見、意味を成していないように見えた。しかし、左右を反転すると「31」になることに気付いた。左利きの中島さんの幼い頃の癖だった。 「本当に基樹だ!」。両親は我が子がしっかりと言葉を理解していると確信した。二人で中島さんを抱き寄せ、泣いた。「分かってやれなくてごめんね」
両親は中島さんの左手を毎日握った。わずかな力を読み取ることは難しかったが、つづられる文章は少しずつ長くなっていった。中島さんも精いっぱい気持ちを表現した。
<あきらめないでと みんなにつたえたい>
同じ境遇に置かれた障害のある人たちへのエールだった。そして、自らもリハビリに意欲を燃やした。
<はやくたべられるようになりたい あるけるようになりたい>
一方で、気持ちを伝えることができなかった11年間の孤独も振り返った。
<いぬになりたかった いぬだったらわんわんとほえられたから>
2月中旬、高校時代からの友人3人がたずねてきた。中島さんが倒れてからも、頻繁に会いに来てくれているメンバーだ。
<ほっかいどうつあー たのしかった>
中島さんが切り出した。倒れる半年前、このメンバーで北海道を旅行した思い出だった。一緒に温泉やカラオケに行ったこと、結婚した同級生に生のこと…。友人たちは交代に中島さんの手を取り”会話”に花を咲かせた。みんなが帰った後、中島さんが依子さんに伝えた。
<にんげんて たのしい>
―転載終了―
昨日、妻の実家で思わず心打たれ涙が止まらなかった。
今の転載中も胸にグッとくるものがありジッと何とか耐えた。
たったひとつの思い込みから彼は11年間も耐えていた。
私も思い込みから何か・・・・
(追記)
北日本新聞さん!色々と気付く事がありました。
転載させて頂き、ありがとうございました。
中島家のみなさん!・・・ にんげんてたのしい!
私たちも心からそう思える生き方をしたい!と
感じました。 ありがとうございました。(礼)