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交通事故!その時。

北陸富山は、気温が低く雪が降っています。路面凍結の一昨日、自宅前の県道16号は9:00までの間に5台救急車が通過して行きました。

 

ひとが外出する時(車、バイク、自転車、徒歩)は、交通事故の当事者となりうる可能性が発生しています。お出かけの前に『気をつけます』という言葉を口にする。こころを込めて思う。ということを行うだけでも可能性を下げる要因となるそうです。(頷)

 

今回は治療を行う立場から、気をつけて頂きたい点をいくつか書いてみたいと思います。立場上ですので被害者となられた場合についてであり、意識が無い状態や、出血、形態の不具合のある場合を除きます。

 

事故発生!その時に動ける状態であった場合に、被害者はハイテンションになり「だいじょうぶ!だいじょうぶ!全~然大丈夫!」と動き回り、加害者の救急車や警察に連絡するのを振り切って目的地へ移動しようとする場合があります。

 

加害者が「何かあったら困りますから」と言っても聞かず、名刺を差し出しても「だいじょうぶ!」と言って受け取らず。数日経過するに従って、身体に痛みが出現し「どうしよう?」という事に。

 

実際にあったケースを紹介したのですが、交通事故の場合医療機関で受診した時より、時間や日数を経過した際の注意点も知っておく事も大切だと思います。

 

数日を経過して、異常が出てこなければ『大丈夫』だと言えますが医療機関で検査を受け「骨も異常ありません!」と安心していても

翌日の朝に首が痛くて動かない状態になることもありうるのです。

 

大丈夫だ!と思っていても、事故に遭われた日や翌日の両日は運動や入浴、飲酒は控えてもらえば宜しいかと思います。腫れが増大しては回復が遅くなる可能性がある為です。

 

交通事故!その時に興奮状態にならない当事者は居ないと断言してもよいかと思います。然し、深呼吸をしっかりとして少しでも落ち着きを取り戻し対処したいものです。

 

興奮状態では、痛みが表れない事が多い!ということを理解しておき、その時は大丈夫であっても、検査の時に大丈夫であっても「今は、痛みは大したことはありませんが、しばらく様子を見ます」と

伝える事も僕は大切だと思います。

 

 

 

 


中国メディアより。

僕が先日、目が釘づけとなった記事がありました。33年前に中国へ行き勉強させて頂いた経験があるので、中国は今でも大好きな国である事は変わりありません。昭和の太閤!田中角栄先生のおかげで中国と国交が結ばれ、そして今があるのだ。ということを日本人として忘れてはならないと僕は思っています。(礼)国に違いがあるように、言葉や教育、ひとの考え方など様々な違いはある!と認めたうえで、違っていない!同じなのだ!と思えて嬉しく、そして思い込みの恐ろしさをも感じさせてくれました。

 

中国メディアが伝えるその記事を以下、転載したいと思います。

(転載開始)

日本人小学生の放った言葉に中国人家族が絶句、「われわれの愛国教育は間違っていた!」-中国メディア

Record China1月13日0時10分配信

 

日本人男性と結婚した従姉が、夫と彼の親戚の男の子を連れて中国に里帰りした。男の子は俊夫という名の小学校1年生。見知らぬ国で言葉の通じない人々に囲まれて、とても緊張している様子だったが、一生懸命カタコトの中国語で私たちに挨拶し、深々とお辞儀をした。その姿がとても愛らしく、私たちはいっぺんで俊夫のことが大好きになった。だが、その従姉の一番上の姉の子、小学3年生の鵬鵬(ポンポン)だけは違った。最初から敵意むき出しの顔で俊夫をにらみつけ、こぶしを振り上げると「打倒小日本(ちっぽけな日本をやっつけろ)!」と叫んだのだ。これには俊夫も周りの大人たちもビックリ。鵬鵬の父親が彼を叱ると、「だって、日本人は中国人の敵じゃないか!学校の先生もそう言ってたもん。パパたちは中国を愛してないんだ!」と言って泣き出した。そこで、「先生が言っているのは歴史だ。今は日本と仲良くしなきゃ。それに俊夫は私たちの大切なお客さんなんだから」と言い聞かせると、「じゃあ、パパやママはなぜ毎日、日本が中国の土地を奪ったから日本製品をボイコットするなんて言ってるんだよ?学校で見せられた教育アニメでも、日本帝国主義を打倒しろって言ってたよ!」と反論した。幸いなことに、中国語の分からない俊夫に鵬鵬と父親の会話の中身を知られることはなかった。俊夫は本当にいい子で、自分で出来ることは自分で全部する。礼儀正しく、大人を敬い、食事の際は全員が箸を取り、従姉が日本語で「いただきます」と言ってから、自分の箸を取る。それに比べて、鵬鵬はどうだ。部屋は汚い。自分では何もしない。食事は当然のように自分が好きな料理を一人占めし、彼を溺愛する大人たちもわざわざ好物を取り分けてやる。私たちは「鵬鵬が俊夫みたいだったらいいのに」と心から思ったものだ。そんな鵬鵬もだんだん俊夫に打ち解け、2人で遊ぶことも多くなった。お互いに日本語や中国語を教え合っている姿を見て「やっぱり子供同士だ」と安心した。最後の晩、従姉とその夫は買い物に出かけていて、私たちはみんなでテレビを見ていた。そこへ鵬鵬が得意げな顔で俊夫を連れて来て「俊夫がみんなに言いたいことがあるって」と言った。俊夫は顔を赤くしながら恥ずかしそうに微笑んで、たどたどしい中国語でこう言った。「僕は死んで当然の日本人です。僕は中国人に謝ります」俊夫のこの言葉にその場の大人たちは全員凍りついた。鵬鵬の父親はすぐさま彼をトイレに引きずって行き、中から「パン!」と引っぱたく大きな音が聞こえた。真相はこうだ。鵬鵬は俊夫に「みんなが喜ぶ言葉がある」とだまして、あの言葉を覚えさせたのだ。こんな小さな子供がここまで日本を憎むとは、あまりにもおかしい。鵬鵬の愛国感はすでにゆがんでしまっている。善良で純粋で友好的な日本の子供を前にして、中国の子供がどれほど恐ろしい敵意と憎しみを日本に抱いているかを私たちは思い知らされた。中国の愛国教育はもっと客観的で冷静であるべきではないのか。

(翻訳・編集/本郷)

(転載終了)

 

教育が、いや国の方針が、ひとのこころにここまで深く影響を及ぼすとは、分かってはいても言葉になりませんでした。大人の発する『言葉』の子供へ与える多大なる影響!!普段から気をつけたいものです。左上の写真は妻の実家にある南天(ナンテン)です。中国、日本のどちらも原産とあり、難を転ずることにあやかる縁起物とされています。中国と日本は、縁起を担ぐ民族であると思います。必ずや、南天にあやかり難を転ずると信じています。隣人同士で争うなんて愚かな事である!と思う次第です。


気持ちいい!

昨日のサッカーは、富山第一高校が決勝で星陵(石川)を破って日本一となりました。

 

富山県がこれほど盛り上がったのは昨年の甲子園で活躍した富山第一高校の野球部以来ではないだろうか?

 (さむ空を見上げると面白い雲が)

富山第一高校出身のスポーツ界で活躍する人材も、これからはドンドン増えていくと予想しています。僕の中での富山第一高校出身の有名人は、大相撲幕内力士の駒不動関かな!柔道部だったのでよく

試合も見てました。

 

何か、すごく懐かしい。駒不動関は今はどうしているんだろう?

膝は大丈夫だろうか?などと何故か心配してみたり・・・。

 

サッカー全国制覇の喜びを感じながら、さむ空を見上げると何とも気持ちいい。背伸びをしながら澄んだ空気を精一杯、吸い込むのでした。

 

 


左義長。

今日は、左義長が行われました。正月飾りや、子供たちが書いた書き初めなどの願いが空高く舞い踊り、そして天に昇っていきました。

 

僕が子供の頃は、お餅を竹に付けて、火に炙り頂いたものです。今では、そういう事も廃れてきたのかもしれませんね?

 

左義長、どんど焼きなど、地方によっては呼び名が違うかもしれませんが、日本中に日本人としての仕来たりや、神道行事として継承していくという尊いものが残っていることに、ある意味期待と、そして日本人としての誇りを感じています。

 

子供たちが何も考えないでいても、お正月の行事として頭の隅にでも憶えてほしいなあ・・・。と、思う次第です。拝、


自己責任!

昨日は仕事を終えてから地区の新年会に行ってきました。午後7:30から始まっていたのですが、到着した時間が午後8:50でしたので、皆さんは、もう出来あがっていて「遅かったから駆けつけ3ば~い」って感じになってしまいました。(笑)

(あ!はい分かりました。でも左に?)

 

いつも仲良くしている方々に囲まれて、駆けつけ何杯呑んだのだろう?いつも人には「断る勇気も必要ではないでしょうか!」などと

言っているくせに!?(笑)

 

自分では『人に優しく、自分に厳しく』のつもりが『人に厳しく、自分に甘~く』になってしまっている・・・。^^

本当に男って!じゃあなく。

僕って、いつも同じことをして反省している。(笑)

 

すべて自分の行動には『自己責任』が、纏わりついています。

 

明日は、妻の実家の地区での新年会に、まるでそこの住人のように参加してきます。(何時もあたたかく迎えてくださり感謝です)

 

明日は、同じことで反省なんてしません。

多分!(笑)

 


1月11日は鏡開きです。

早いもので、今日1月11日は鏡開きです。神仏のお供え物をおさげして

年神さまのお力を頂きます。

 

我が家では、よろ昆布のよくきいた

出汁がおいしいお雑煮と海苔を巻いて、頂きました。(旨)

 (葉のない枝に雪の花が咲きました)

気のせいか?年神さまのお力を分けて頂いたからか?何だか昨日とは違う気分で居るのが不思議です。僕のお腹は太鼓腹ではありますが、ばちで打ち響くように力が漲ってきます。(笑)

 

然し、日本人って本当に奥が深いです。淡々と、いや知らず知らずの内に神道行事をこなしているのですから。

 

13日(月)には、成人式のあと左義長が行われます。


国土地理院 スロースリップ!

『千葉県の沖合 地震活動活発に 2014年1月10日』

 

千葉県東方沖で、地下のプレートの境界線が、ゆっくりとずれ動く「スロースリップ」と呼ばれる地殻変動が起きていることが、国土地理院などの観測でわかりました。これが起きると、周辺で地震活動が活発になることが知られています。

 

以上の事から、地震が起こる可能性をこころに留め置き、家族と話をしておく必要があると思います。

 

起こらなければ、それに越したことはありませんが、何らかの準備だけは怠らないようにしておきたいものです。

 

我々日本人には、教訓があります。

忘れてはなりません。

 

そんなもん大丈夫だ!ではなく。

 不安を煽るのでなく、与えるのでなく、

自信をもって安全に行動できるように。

 

僕は、こころがけたいと思います。


国産100%の食パン!(感謝)

今日の北日本新聞とやま経済(5)に嬉しい記事を発見!これは拡散だとばかりに書いています。(嬉)

 

何と!主原料が国産100%でありその産地もハッキリとしているという。もう本当に感謝である!

   (日本製にカエルんだ!という意味です)

 

以下、北日本新聞より一部引用転載致します。

(一部引用転載開始)

        国産100%食パン商品化

     さわや食品  来月から県内供給

パン製造のさわや食品(射水市広上・大門、澤谷晴彦社長)は主原料を国産100%にした食パンを商品化し、2月から県内のコンビニエンスストアやスーパー向けに供給する。県内産コシヒカリの米粉と北海道産、高岡市戸出地区産の小麦粉をブレンドし、当面は1日600枚を生産して将来は倍増させたい考え。純国産の食パンは業界では珍しく、オリジナル商品として売り出す。

(一部引用転載終了)

 

我が家の主食はごはんであり、今もそれは変わりがありません。然し、おやつとしてパンは好んで食べています。国産100%が業界でも珍しいというのであれば、さわや食品さんは凄いことをやろうとしているのです。 (拍手)

 

来2月に売り出されるので、必ず求めて食べてみたいと思います。

やはり、安心安全が売りなのです!未来の日本を背負う子供たちには、こういう素晴らしい食品を口にしてほしい。

 

そう僕たちは強く思います。

さわや食品の澤谷晴彦社長に感謝です!

さわや食品 がんばれ!  (拍手)


寒波襲来を一考する。

今日から寒波が南下してくる為に、とても寒くなり積雪もあるようです。

 

北陸富山のお正月は、暖かく天候に恵まれたこともあり、何処に行っても賑わいを見せていました。

 

少しだけ視野を広げてみるとアメリカでは過去20年で『最強寒波』の襲来だという!

昨日のNHKニュースで、-15℃の市街を歩く日本人カップルが、「寒すぎて頬っぺが痛いです」「もうホテルに帰ります」などとも言っていた。(寒)

 

アメリカ全土で最も低気温は、ミネソタ州クレーンレイクの-38℃

モンタナ州カマータウンでは、体感温度-53℃までさげた。とも、ありました。正に凄まじい寒波です!!

 

日本では温暖化が、未だに叫ばれてはいますが、一転!そうではないと感じているのは僕だけではないと思います。世界規模で起こっている『最強〇〇』〇〇に入るのは寒波であったり台風であったりと、これ以上〇〇は増えてほしくはありません。

 

世界規模で起こっている異常気象は、以前より起こっている太陽の影響をもろに受けているからであり太陽系規模まで広げてみて見る必要があるのではないかと思います!

 

たとえば、以前に太陽の黒点が消えていた時期があったり、一転して活発に活動し大きなフレアを放出したりと陰陽の高低が激しくて

地球上への影響は計り知れません。

 

今回、日本列島に南下してくる寒波というか寒気はアメリカに匹敵するものではないので今のところは安心ですが、日本に『最強〇〇』がやってこない!とは限らなく、やってこない事を祈るしかないのが現状であると考えます。

 

『そんなもん大丈夫、大丈夫』と何も考えず!ではなく、『どう対処するかを予測したうえで、大丈夫だ!』と言えるようにしておきたいと一家の長として強く思う次第です。


春ウコン。

去年に我が家で収穫した春ウコンです。土が付いていますのできれいに洗って乾燥させていきます。

 

何故、春ウコンを栽培したのか?は追々とお伝えしたいと思っております。今は治験中だから、もう少しの期間は頂きたいと思っているのですが、如何せん!良い事は隠さずにドンドン発信していく。これが、当院の僕たちの信念である為に

少しだけ触れておきます。(笑)

 

以前に、尊敬する義兄を癌で亡くした事を書きました。悔しく残念でなりませんでした!何故あのときにもっとハッキリとそして強く

伝えれなかったのか!思い込みの強さと怖さをまざまざと見せられた悲しい出来事でありました。

 

ひとが様々な痛みや病に疲弊を感じ、諦める前に福音となりうる事を知り、そして冷め切ったこころを温めることが出来るならば!!

良くなってほしい・・・・・。

 

ただ、そう思って収穫した『春ウコン』を見つめています。