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おかげさまで。

平成25年も、本日をもって最終の美を飾り、翌年へと移っていきます。何時も変わらずそうであり、変わるのはひとの正月に対する思いでしょうか?

 

今年も本当にお世話になりました。

こうしてブログを始めて、たくさんの方と知り合うことが出来ました事は、僕のこころの財産、いや宝物になりました。

 

ブログによって、こころが通じ合う事の温かさや喜びを知る事のすばらしさ、力、をしみじみと感じました。

 

皆さま!今年一年、拙ブログをご覧いただき本当にありがとうございました。来年度も何卒宜しくお願い致します。

 

おかげさまで。  拝、

 


天神講(てんじんこう)を考える。

もう幾つ寝るとお正月~♪っていう感じになりました。お正月にはお飾りはもちろんのこと天神様(菅原道真公)をお祀りして

1月25日に天神講となります。北陸富山では、当たり前に行われる祭事として厳かに守っており、日本中で行われている!と思っていました。然し!北陸の越前と越中だけ、ようするに福井県と富山県だけだと知ってボー然!?これは本当にびっくりして!出てきた言葉が「えっ!そうなの?」でした。これは多分なのですが福井と富山の両県のひとはみ~んな、そう言ったと思います。また、1月25日の天神講でお供えするのが福井県では焼きカレイと決まっているそうなのですが、こちら富山県では尾頭付きが定番で鯛や甘鯛、鰤に鰯、はたまた蟹やら烏賊など食べたいものをお供えしています。各家庭によってマチマチなようです。(笑)

 

両県にわたる根強い思い込みは、近年!テレビのクイズ番組によって外されたようである。この件はテレビ番組に感謝せねばならないですね!(礼)一つ思い込みを外せました!ありがとう。(感謝)以下『ウィキぺディア』より引用します。(チョット長いですのでお急ぎの方はスルーしてくださいね)

(引用転載開始)

 

本来、天神とは国津神に対する天津神のことであり特定の神の名ではなかったが、菅原道真が死後、火雷天神と呼ばれ雷神信仰と結びついたことなどを由来とし、道真の神霊に対する信仰もまた天神信仰と称するようになった。

 

(歴史)

藤原時平の陰謀によって大臣の地位を追われ、大宰府へ左遷された道真は失意のうちに没した。彼の死後、疫病がはやり、日照りが続き、また醍醐天皇の皇子が相次いで病死した。さらには清涼殿が落雷を受け多くの死傷者が出た。(清涼殿落雷事件)これらが道真の祟りだと恐れた朝廷は、道真の罪を赦すと共に贈位を行った。

 

清涼殿落雷の事件から道真の怨霊は雷神と結びつけられた。元々京都の北野の地には火雷天神という地主神が祀られており、朝廷はここに北野天満宮を建立して道真の祟りを鎮めようとした。道真が亡くなった太宰府にも墓所の地に安楽寺天満宮、のちの太宰府天満宮が建立された。また、949年には難波京の西北の鎮めとされた大将軍社前に一夜にして七本の松が生えたという話により、勅命により大阪天満宮(天満天神)が建立された。987年には「北野天満宮大神」の神号が下された。また、天満大自在天神、日本太政威徳天などとも呼ばれ、恐ろしい怨霊として恐れられた。平安時代末期から鎌倉時代ごろには、怨霊として恐れられることは少なくなった。この時代に書かれた『天神縁起』によれば、この時代には天神様は慈悲の神、正直の神として信仰されるようになっていた。江戸時代には、道真が生前優れた学者・歌人であったことから、天神は学問の神として信仰されるようになった。元々の火雷天神は天から降りてきた雷の神とされており、雷は雨とともに起こり雨は農作物の生育に欠かせないものであることから農耕の神でもある。各地にも火雷天神と同様の伝承とともに天神が祀られていたが

火雷天神が道真と同一視されたことから、各地に祀られていた天神もまた道真であるとされるようになった。また、北野天満宮や太宰府天満宮からの勧請も盛んに行われた。天神(道真)を祀る神社は天満宮・天満神社・北野神社・菅原神社・天神社などという名称で、九州や西日本を中心に約一万社(岡田荘司らによれば3953社)あって分社の数は第3位である。

 (発祥の地)

北野天満宮と太宰府天満宮はそれぞれ独立に創建されたものでありどちらかがどちらかから勧請を受けたというものではない。そのため、北野天満宮と太宰府天満宮では「総本社」「総本宮」という呼称は用いず、「天神信仰発祥の地」という言い方をしている。

 

(各地の天神信仰)

北陸、福井県や富山県では、長男が誕生するとそれ以後の正月、床の間に天神像(木彫や掛け軸)を飾り、福井では1月25日にカレイを供える風習がある。この掛け軸などは、母方の実家から送られる。これは幕末の頃に教育熱心であった福井藩藩主松平春嶽が領民に天神画を飾るよう推奨し、それを富山の薬売りが広めたという説がある。また、石川県など前田藩の他の支配地域や隣接地域でも同様の風習があった。金沢市には正月に天神と複数の従者の木像を飾る風習が昭和30年代まで見られた。前田家は菅原氏の出を称しており、家紋が天神の神紋と同じ梅鉢紋であるのも、そのためとされる。ちなみに前田家の家紋は「剣梅鉢」と呼ばれている。

 

広島県北部

 子供の初節句に天神像等の人形を贈る。三次人形を参照。

 東京板橋区

 関東最古の天神信仰である。梅木の霊力で疫病が退散し梅木を祭祀し天神信仰が始まった。

 (天神信仰と数字)

菅原道真を主祭神としている神社では、道真の誕生日と命日がともに25日であったことから毎月25日を例祭としていることが多い。

江戸時代でも毎月25日は天神様の縁日であり、とくに旧暦1月25日を「始め天神」、12月25日を「終い天神」とよんで参詣したが、これは新暦に移行した現在でもそう呼ばれている。また江戸市中で道真を祀る25社を「江戸二十五天神」と称した。

 (天神信仰と牛)

菅原道真と牛との関係は深く「道真の出生年は丑年である」「大宰府への左遷時、牛が道真を泣いて見送った」「道真は牛に乗り大宰府へ下った」「道真には牛がよくなつき、道真も牛を愛育した」「牛が刺客から道真を守った」「道真の墓所(太宰府天満宮)の位置は牛が決めた」など牛にまつわる伝承や縁起が数多く存在する。これにより牛は天満宮において神使(祭神の使者)とされ臥牛の像が決まって置かれている。

 (引用転載終了)

 さて、これから一考して自論を展開することにします。あくまでも自論であることをお断りしておきます。藤原時平の陰謀によって、道真は左遷され、破竹の勢いそのままに出世街道を歩んできた道真を地のどん底に突き落とされました。いやがらせもここまでくると怖いもので、まるで犠牲である。疫病や清涼殿落雷事件は、犠牲者である道真の祟りだと権力者や人々が信じた訳は、その時代背景や陰陽道が深く関わっていると思われます。天神講として福井や富山に今でもお祀りし大切にしているのは、それに関係するものが多数移り住んだのか?もしくは怨霊封印の為に陰陽道の定めた方角がこの両県であったのではないかと僕は推察しています。右上の写真の臥牛は、菅原道真公と牛の縁もあるだろうと認めた上で、菅原道真公はある意味で犠牲となられたのだという暗示が込められていると推察するのです。牛偏に義と書いて犠牲の犠となります。牛イコール菅原道真公と考えれば道真公に非ではなく、義があった事を知っております。という暗示であると。神道に於いては、伝説的であったり暗示的であったり比喩的表現が鏤められていると感じています。新年に向かい改めて天神様をお祭りし1月25日の天神講まで菅原道真公に向き合いたいと思います。柴田家の天神様は母の父、日本画家である僕の祖父 城寳清太郎の僕への愛情一杯込めてくれた作品であり、最大の宝です。ありがとうございます。(礼)


一考すべき記事!

今日付けの北日本新聞(社会面)に『子宮頸がんワクチン』の記事が載っていた。先日も自論を書いていたので、正に一考する時期に来ているのだろうと思います。

 

あれこれとハッキリとしつこく書いてきたので、今回は書かない。僕が言うのでなく新聞に掲載されているのです。以下、北日本新聞より転載いたします。

 

(転載開始)

       接種呼び掛けの再開結論先送り

           子宮頸がんワクチン

 

 接種後に長引く痛みやしびれなどの副作用が報告されている子宮頸がんワクチンについて、厚生労働省の専門部会は25日、中止している接種の呼び掛けを再開するかどうかを検討したが、結論を来年1月にも開催する次回以降に持ち越すことを決めた。

 

(転載終了)

 

僕は、この事だけでも一考されるに充分だと思います。何も考えずに流されなければ今の生活が保たれるのだから・・・。(安堵)

 

 


鵙の早贄!

今日の富山県地方は快晴にて、久しぶりの高気圧に皆さんのお身体も、頗るよろしいのではと思います。

 

お袋が昼食の時に「晴れるのは今日だけ!あとはずぅ~っと雨か雪で、晴れは今日だけ」天気予報の思い込みである!(笑)

 

昼食を楽しく済ませて休憩時間を庭の雪吊りをする事にしました。待合室の横にある樹を雪吊りの作品に仕上げ、お袋の部屋から眺める裏庭の樹を3本仕上げました。

 

気温も暖かく非常に手際良く縄を縛ることが出来て良かったです。

仕上がりも自己満足を含め98点位でしょうか?あと2点足らなかったのは、縄をちょっと無駄にした事!です。

 

作業時間1:50分でした。妻も頑張って、窓と網戸をきれいに掃除してくれました。(感謝)家の周りを歩いていると妻が手招きをしている!?何だろうと近づくと・・・。鵙の早贄!である。

 

冬の前に餌を木の棘に刺しておく習性をいうのだと思い込んでいたが調べてみると・・・。やはりそれもあるのだそうだが餌が無い冬の時期にそれを食べるのかというと、そうでもないようだ。(?)

 

早贄の刺してある所の高さで、その年の積雪量を予測する!という

こちらの言い伝えもあり、まだまだ調べる事がありそうです。

 

家の周りや付近の散策などをしていると、色々と他愛の無いことで楽しい事が見つかるものですね。

 

 また晴れた日にぶらりと外に出てみようっと!(笑)

 

 

 


自分自身で調べる事の大切さ。

僕は以前から、いや今も言い続けている『情報に流されず!鵜呑みにせず!自分自身で調べ、一考し行動する事』。今もこれからも必須であると考えています。

 

テレビで放送されているから。とか

みんなが言っているから。今行けば無料だから。とかとか!?

しっかり調べないといけません!必ず調べてください!!(願)

 

何故!何度も何度も繰り返して伝えているのか。どうしても理解を

してほしいからなのです。例をあげて伝えます!一番記憶に新しい例題かと思います。

 

あの3.11以降、頻繁に流れていたCM!『子宮頸がんワクチン』は副反応(副作用)の多さから厚生労働省は、積極的に勧めてはいません!というリーフレットを出した。(超積極的だと思ったが?)

 

一気にワクチン接種に走った!という感がありましたが、娘の様子がおかしい!?歩けない!痛みが引かない!記憶力が低下している様だ!など一部に副反応と共に不信感が出てきたのです。

 

言われるまま流れていくのは大変危険である!ということを再確認

すべきであると、先の事案は教えてくれています。

 

先日妻が、一冊の本を僕に差し出してくれました。内科医の内海聡

氏の著書『医者いらずの食』という題名で、内科医が薬害ならぬ、あらゆる食害を斬る!!とっても危険な添加物、遺伝子組み換え、人工甘味料、農薬、合成油、化学調味料ETC・・・一生病気と無縁でいられるヒントがここにあります。(帯)

 

という本である。「医原病」が作られる構図として・・・。

 

「生きること」と「食べること」は直結しているー

現代医学は病気を治せないー

「医療化」という洗脳ー

大事なのは、自分で調べて自分で決めることー

子供を殺して才能を奪い取る「毒親」ー

「コレステロールが高いと危険」という嘘ー

高血圧、糖尿病、生活習慣病をめぐる嘘ー

 

ほんの少し読み進めた頁に、これだけの著者の思いが込められています。妻が何故、この一冊を手渡してくれたのかが分かり僕の背中を押してくれた事にも感謝です。

 

内海聡医師の著書は、異端医師の独り言のリー先生のブログと同様に一読をお勧め致します。正に目から鱗!と言えるものでたくさん刷り込まれた『思い込みを外すには大変貴重な文献です。

 

右上の写真は、患者さんから「冬至のゆず湯にどうぞ」と頂いたもので入浴してみたら、調べた通りでものすごく身体が芯から温まり

おかげさまで、こころもあったか~くなりました。

ありがとうございます。(礼)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


23日(月)休診します。

明日から連休となります!

よろしくお願いいたします。

みなさんも良き日をお過ごし下さい。


ごしんじょう療法!幼児。

ごしんじょう療法を幼児に施す場合

初回の一家族の料金だけで、あとは就学前の幼児は無料です。

 

 「申し訳なくて・・」と仰られる親御さんが殆どですが、これが貴峰道の貴田先生ご自身がとっておられるスタイルであり方針なのです。(ガツンとこころに響きました!)

 

『ごしんじょう療法』を惜しみなく余すところなく教え伝え、世界に広め後世に遺すことが、私の一願であり畢生の事業です。と著書にあり、僕たち夫婦も賛同しその方針を遵守しています。

 

良くなる!という事だけを第一に考えています。

遠慮などご無用です!それだけを考えましょう。

皆で喜びを分かち合いたい!只それだけなのです。

 

一助になれば。


三導療法!激しい痛み。(腰痛編)

痛みを対処する編は分かりづらい!という声は以前よりありました。

文字で理解することは個人的な思い込みも含まれる恐れがある為、それを避ける意味で、今回から、一目で

分かるように致しました。

 

急な痛みで身動きがとれない場合や、困っておられる方を目にした時などの緊急の際にも、ご活用下されば幸いです。然し乍ら、これはあくまでも、救急処理法であって専門的治療を併用すべきである

事は言をまたないものです。

 

ここに記す事は、当院の考え方であり個人的見解である事を先ずはお断りしておきます。これからの医療界は大きな転換期を迎えるであろうと考えています。現在の保険診療の在り方が根本的に見直された時に、何でもすべて医療機関に頼るばかりでは、生活に歪みが発生し国民のこころにゆとりが無くなってしまいます。

 

簡単に且つ、自分自身で対処するという事が広がれば『誰もが自身の身体に自信を持ち、医療費の削減に必ずや貢献できる!』と強く

思い願うのです。

 

ひとの為になる事や良い事はどんどん公開し、正しく伝えていく!

貴峰道 ごしんじょう療法の貴田先生をはじめ、異端医師の独り言

のリー先生のお考えにこころから賛同し遵じています。(礼)

 

一介の治療家ではありますが、過信でなく自信を持って『千里の道も一歩から』と思い、もう一歩踏み出した処です。

 

それでは、改めて始めます。よろしくお願いします!(礼)

 

 先日も18日を経過しているにもかかわらず、痛みの度合いが甚だ激しく、もう諦め顔の患者さんが来院されました。もういち早く痛みを取ってさしあげたい!では、対処していきます。

 

接骨院では、原因が無い場合は保険診療の対象外となり自由診療と

なります。今回の患者さんは、お孫さんの喜ぶ顔が見たくてクリスマスのイルミネーションを樹木に取付けようと上に手を伸ばした際に、腰に激痛が走り負傷されたものでした。

 

腰部ばかりではなく右大腿部にも激しい痛みを訴えておられます。

先ずは三導療法の基本である耳の対処点を処置します!あとは左上の写真で紹介した赤と青の対処点を刺激すれば完了です。

 

18日間の地獄であった為か?痛みが去り「天国です!」と僕に伝えて下さり奥様からも感謝のお言葉を頂きました。(恐縮です!)

そして諦め顔から、生き生きしたお顔になり本当に良かったです。

お孫さんの喜ばれる姿が見えるようです。

 

安静ばかりされないで動いてください!お風呂にもゆっくりと入って日本酒の熱燗でしめて寝てください!と申し上げておきました。

最近寒くなりましたね!お身体を冷やさぬ事です。

 

今回の患者さんは、他の医療機関の方からのご紹介でした。

当院をご紹介頂き誠にありがとうございました。(礼)

お大事に。

 

 


やさしい気持ちに・・・。

コタツに入ってテレビを見ている犬

を発見!(まるで僕のような姿だ)

でも何故か不思議とこころがホッと

してくるのは何でだろう?

 

妻の友人宅でのワン!ショット!?いつもの光景なのだそうだが何を見ているのだろう?朝ドラのごちそうさまだろうか?だけど可愛いものである。見ていて不思議とこころが癒されるのを感じます。

 

色んな事を思い巡らせながら僕の目が^^になっていた!

ありがとう。

 

MODEL. MOCO.

PHOTO. MOCOMAMA.

 

 


ひとを大切に思うこころ。

最近の日本は冬でもあり冷え込んでいます。世界に目をやっても内戦や

領域についての主張の違いがあり冷えている状況にあると思います。

 

ひとを大切に思うこころが、ほんの少しだけ冷えてきているのかも知れません。自分の家族は大切に思えるけれど、他人はそう思わない!

 

だけれど然し、外国で日本人と会ったり日本人かな?と思えるひとが居るだけでホッとしてしまうのは何故だろう・・・・?

家族を守る。いのちに代えても護らなければならないものが有る。

 

僕自身、これは何度も見て涙が止まらなかった!何度見ても・・・

(以下転載開始)

 

  

  ☆ 静ちゃんへの手紙  ~神風特攻隊員の兄と幼き妹~

      大石清 伍長「妹への手紙」

大阪府出身で飛行学校の大石清伍長は、昭和20年3月13.4日の大阪大空襲で父を失い、重病だった母親も亡くす。肉親は大石伍長の妹である静恵さん当時小学生。兄が戦場に行き、妹は伯父の元に引き取られていた。

 

妹思いの兄は給与のほとんどを妹に送金しており、このような手紙をやりとりしたという。

 

  ☆ 静ちゃん

お便りありがとう。何べんも何べんも読みました。お送りしたお金こんなに喜んでもらえるとは思いませんでした。神棚などに供えなくてもよいから必要なものは何でも買って、つかって下さい。

兄ちゃんの給料はうんとありますし、隊にいるとお金を使うこともありませんから、これからも静ちゃんのサイフが空っぽにならない様、毎月送ります。では元気で、おじさん、おばさんによろしく。

 

戦況の悪化ににより、鹿児島県知覧のみであった特別攻撃隊の飛行場の補助として作られた万世基地では、昭和20年3月29日から終戦まで飛行第66戦隊、飛行第55戦隊が一機また一機と飛び立った。

 

同年5月20日、大石清伍長が到着。その数日後・・・・

次の遺書を整備担当であった大野沢威徳氏に預け出撃し散華した。

 

  ☆ なつかしい静ちゃん!おわかれの時がきました。

兄ちゃんはいよいよ出撃します。この手紙がとどくころは、沖なわの海に散っています。思いがけない父、母の死で、幼い静ちゃんを一人のこしていくのは、とてもかなしいのですが、ゆるしてください。兄ちゃんのかたみとして、静ちゃんの名であずけていた郵便通帳とハンコ、これは静ちゃんが女学校に上がるときにつかってください。時計と軍刀も送ります。これも木下のおじさんにたのんで、売ってお金にかえなさい。兄ちゃんのかたみなどより、これからの静ちゃんの人生のほうが大事なのです。もうプロペラがまわっています。さあ出撃です。兄ちゃんは征きます。 泣くなよ静ちゃん。 がんばれ!

 

この遺書を預かった大野沢威徳氏は次のような手紙を添えている。

 

  ☆ 大石静恵ちゃん

突然、見知らぬ者からの手紙でおどろかれたことと思います。わたしは大石伍長どのの飛行機がかりの兵隊です。伍長どのは今日、みごとに出げきされました。その時、このお手紙をわたしにあずけて行かれました。おとどけいたします。

 

伍長どのは、静恵ちゃんのつくった人形を大へん大事にしておられました。いつも、その小さな人形を飛行服の背中に吊っておられました。ほかの飛行兵の人は、みんな腰や落下傘の縛帯の胸にぶらさげているのですが、伍長どのは、突入する時に人形が怖がると可哀そうと言っておんぶでもするように背中に吊っておられました。

飛行機にのるため走って行かれる時など、その人形がゆらゆらとすがりつくようにゆれて、うしろからでも一目で、あれが伍長どのとすぐにわかりました。伍長どのは、いつも静恵ちゃんといっしょに居るつもりだったのでしょう。

 

同行二人。仏さまのことばでそう言います。苦しいときも、さびしいときも、ひとりぽっちではない。いつも仏さまがそばにいてはげましてくださる。

 

伍長どのの仏さまは、きっと静恵ちゃんだったのでしょう。けれど今日からは伍長どのが静恵ちゃんの『仏さま』になって、いつも見ていてくださることと信じます。

 

伍長どのは勇かんに敵の空母に体当りされました。静恵ちゃんも、りっぱな兄さんに負けないよう、元気を出して勉強して下さい。

さようなら

 

 

幼い妹を一人残して逝く大石伍長の悲痛な句が残されている。・・

 

「妹のことを伯父にたのみ、新宮駅にて訣別。妹泣く。伯父上夫婦も泣く。せめてあと数日、妹の傍に居てやりたし」

 

 

終戦まで三か月弱前の五月二十日、特攻出撃。

 

 

「静ちゃん」は十一歳。大石清の年齢はわからない。「中学三年から飛行学校」へ行ったという事から推測し・・・・・

十七、八歳ではなかったかと思われる。

 

(転載終了)

 

僕は何度も見て、読んで涙が止まらなかった・・・。

我々の祖父であり、父である年齢の方の話である!!

将来の日本を我々に託して逝かれていると僕は理解をしています。

 

今現在!大石清伍長をはじめ、先人に胸を張って良いのだろうか?

今の日本に納得されているだろうか?

 

こころが冷え込んできている今!

ひとり!思いを巡らせています。