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シャッカ―始めるよ!

『行くよっ』と!偉そうに僕を見ている七ちゃんなのです。フェイントを仕掛ける前の表情です。『えっ?何のこと』と言いながら頭と左右の足をすばやく使ってボールを操ります。(ホントになかなかやるなあ)

 

「七!シャッカ―する?」と僕が言おうものなら、競技場の廊下へと一目散に駆け出します。それも後ろにいる僕をチラ見しながら。そして、定位置に着けた七ちゃんの上の姿です!^^

 

昼休みの七とのひと時!どっちが遊んでやっているのやら、わからないまま『七の勝ち~』で、バテた!?いえ、終了したのでした。

 

『明日もシャッカ―してあげよっか?』

「あ!すいません。お願いしまっす」

「おい」^^/


憶念寺さま法要に行きました

昨日は、地元の憶念寺さまにて無縁の法要があり、お世話とお参りに行ってきました。石川県から小杉講師をお迎えして、たくさんの皆さんが集まられ、静かに始まりました。

 

憶念寺住職の読経のあと石川県からの小杉講師のご説法がありました。加賀訛りのお話がこれまた楽しく引きつけられるのです!話術の中に「みな同じなんだなあ」と思え、何とも不思議な安心感が漂います。^^

 

あっと言う間にお昼になり『お斎』(おとき)を頂き、皆さんと歓談しつつ午後の部を待ちます。そして午後も小杉講師の楽しいお話が続きました。僕は一番後ろの席でしたので、笑うたびに皆さんのからだが前後に揺れ、そのうちに納得のうなずいておられる姿が視界に広がっていました。

 

『お寺って楽しいところです』これはもしかしてですけど!僕もそういう年齢になってきたのかもしれないなあ!と思いました。皆さんと共に同じ時間と同じ思いをを共有する事の出来る場所!それが『お寺』なのかなと感じた次第です。


大仙古墳

大阪府堺市堺区大仙町にご鎮座になります仁徳天皇陵!大仙(山)古墳です。クフ王ピラミッド・始皇帝陵と並ぶ世界3大墳墓です。

 

全長486mという最大の古墳なのです。もちろん!宮内庁管理であって立ち入ることは出来ません。僕は、子どもの頃から興味を持っていて許されるならば足を踏み入れ調査してみたいと思っていました。

 

然し!戦後すぐにアメリカが仁徳天皇陵に入ります。その時たくさんの出土品が押収され、細線文獣帯鏡や単鳳環頭太刀などの大切な宝は、今もアメリカのボストン美術館が所蔵しています。

 

仁徳天皇陵に眠る大王は、はっきりとはしていないのが本当のところです。はっきりとさせない処が日本的であるのかもしれません。

 

富山県氷見市は『きときと氷見ぶり』が有名ですが!知る人ぞ知るものがあります!それは『柳田古墳』です。これも非情に大きな古墳であり、僕のこころをくすぐります。^^

 

調査には、頭の中の思い込みや勝手な決めつけなどを一度!取り払ってから進むべきであると僕は思っています。そうすれば色んな不思議な情報が自然に集まって、そのすべてが合致するものであると!何故か不思議とそう思っています。


空の青白!

今朝はチラチラと雪が舞い、屋根瓦の黒と雪の白が美しく視界に入ってきました。お昼休みにはこのような空の青と雲の白が眩しく視界に広がります。

 

今日も朝からたくさんの患者さんが来院され、お待ち頂く時間が大変長くなっておりましたが、ご理解とご協力!本当にありがとうございます。おからだの不調と痛みを取り去る事が僕たちの第一目標ですので、笑顔でお帰り頂くのが何よりの喜びです。^^

 

上の空の青白のように『何かスッキリとした気持ち』と言いましょうか!そんな感じです。ありがとうございます。

 

柴田佳一 拝、


ごめんなさい

『お母さん!ごめんなさ~い』と妻の膝に飛び乗り、顔を近づけて許しを乞う七ちゃんなのです。

 

どうも七ちゃん!いたずらが過ぎたらしく、目を合わせてもらえない様です。必死にすり寄って『ごめんなさ~い』って言ってるところです。我が家の決め事として、決して「怒らない」「叩かない」七に対しての接し方をこのようにしていこうと決め、一緒に暮らしてきました。犬として厳しく躾(しつけ)をする事をせず!「目を見て、やさしい言葉で話しかける」事を柱として、してはいけない事は、目で訴えるべく七に伝えるようにしました。

 

七と共に暮らして1年と3カ月!本当に今!満足しています。七も、本当にしっかりと育ってくれました。明るく!ひとが大好きで威嚇することを知りません。親バカですが正に天真爛漫だと思います。

 

『ごめんなさい』が伝わったあとは、お母さんに甘えに甘えて「遊ぶ!?何して遊ぶ~」とはしゃぎ回る七ちゃんなのでありました。

 

ちゃんとごめんなさいできて良かったね!えらかったよ。^^


強力(ごうりき)

この方は昨日紹介した『強力』(ごうりき)です。「剛力」とも表されています。木で造られた背負子にたくさんの荷物を運んでいます。

 

右手に杖を左手に魚を持っています。何㌔ぐらいまで背負い!そして何㌔ぐらいを行き来するのでしょうか?今の僕たちには想像もできない程なのかもしれません!今回!強力について調べてみました。

 

    強力・剛力(ごうりき)とは?

 

歩荷や登山案内を生業とする日本古来の運送業者のこと。また山伏修験者に従い、力役をつとめる従者の呼称。修験者がその修行の場を山野に求め、長途の旅をつづけたところから、その荷をかついでこれに従った者。中世になると社寺あるいは貴族に仕え、輿(こし)をかつぐ者も強力と称した。

 

かつぐ(担ぐ)のが仕事とは、力が強くなければできません!おそらくは、力の強い力士(お相撲さん)をも背負って歩けるくらいの素晴らしいバランス感覚の持ち主だったと思われます。

 

凄いです!参りました。^^


箱根旧街道の写真を見て

現代は、日本の何処へ行くにしてもスピードの時代です。飛行機に客船や新幹線!僕は愛車のシーマ君ですが、本当にありがたいものです。

 

左の写真は、幕末の箱根旧街道を撮ったものです。当時は馬や駕籠を乗り継いで長途の旅をいち早く進めたものです!あとはもう只管!歩くだけ。食べて眠る場所がないと、長旅は体力がもちません。

 

「次はあそこの宿場まで」という目標設定をして歩を進めたのでしょうね?大変なことだと思いますが、当時はそれが当たり前!お伊勢参りで初めて国を出るという気分の高揚が、前向きさを後押ししたのではないかと思います。

 

昨年の11月に歩いて日本縦断の旅をしている若い夫婦?カップルに会いました。無事に夢は果たされていると思いますが、本当に立派だなあ!頑張るなあ!と感心したのを思い出します。^^

 

歩くことは人間にとって一番の健康法だと考えています。雪がなくなった頃には、七ちゃんと一緒に歩きたいと思っています。

 

もう一度!上の写真を見てみると、強力(ごうりき)と女の子の二人!倒木に座り、休んでいるのが分かります。懸命に箱根旧街道を進んできたのでしょうね!?箱根温泉にでも行くのかな?いいな!

 

今年も一生懸命に歩いてみようと写真の二人を見て思うのでした。


時代が変われば恐竜も変わる!

 

 これが今の恐竜の姿です!以前まではウロコに覆われた大型のトカゲのイメージでしたが、羽毛のある恐竜の化石が中国やロシアから発見され!そのイメージが一気に変更されたのです。ある意味、頭の中の思い込みを完全に削除しなければならない訳なのです。^^

 

僕的にも、羽毛の恐竜の姿には驚きましたが!?これはもしかして爬虫類ではないのではないかと思わせるような感じもしています。前回の『井伊家』おんな城主直虎も「男」だったという説も話題になっていたように本当の事はしっかりと性根を入れて調査を必要とするものです。

 

一方的な情報を鵜呑みにするのではなく!よくよく一考してみることの大切さをも僭越ながら感じた次第です。

 

世の中にはまだまだ驚愕の事実が眠っているのかも・・・・・。

何~んて思って楽しんでいま~す。^^


井伊家の家紋の船

写真は琵琶湖に浮かぶ井伊家の家紋のついた屋形船です。今年のNHK大河ドラマおんな城主直虎の「井伊家」と言った方がいいかもしれませんね。^^

 

柴咲コウさんの直虎はまだまだこれから見所がたくさんあると楽しみにしているところです。この写真が撮られた頃は、桜田門外の変のあとだということなのですが、幕末の動乱期も感じさせない風景写真から、何だか長閑さを感じてしまうのが不思議なのでありました。^^


2000GT-R

日産スカイラインハードトップ2000GT-Rです。僕らの年代ではケンメリGT-Rと言った方が似合いかもしれません。

 

1972年に登場した4代目スカイラインのことで、型式はC110型になります。CMで「ケンとメリーのスカイライン」と売り出したものですから『ケンメリ』というキャッチフレーズが未だに頭の中に印象深く残っているのです。「愛のスカイライン」などなど、頭の中でグルグルと回って出てきます。^^

 

1977年に5代目の「ジャパン」が売り出されましたが、台数の少ない『ケンメリ』の人気は根強いものであったと記憶しています。

何年経過しようが!素敵な車は現代の車に引けを取るものではありません。

 

大切な日本の宝物!「日産スカイラインハードトップ2000GT-R」クラシックカー万歳!