朝焼け
今朝!目を覚ますと窓が赤い。「え!何っ?」寝ぼけもあって起き上がってしまいました。時計は4:15を指しています。見てみたいと外に出ていました!東方の立山連峰から、赤く染まるお天道様出て来られる処、4:20のその時の写真なのです!思わず手を合わせました。
道の駅「雨晴-AMAHARASHI」
富山県高岡市にある雨晴海岸を望みます。その場所は道の駅「雨晴-AMAHARASHI」です。前に氷見線があり、忍者ハットリくん電車が走ります。氷見市は、漫画家の藤子不二雄A先生の出身地なのです。
その後ろには源義経伝説の義経岩と義経神社があり、訪れた多くの方々が参拝されています。快晴となり条件が揃えば、そのまた後ろに立山連峰が大きくそして神々しくそびえ立つ姿を眼にすることが出来ます。
富山の世界一のスタバに続き、道の駅「雨晴-AMAHARASHI」も世界一の絶景だと僕は胸を張ってお伝えした次第です。是非!いらしてください。
道の駅「雨晴-AMAHARASHI」
〒933-0135 富山県高岡市太田24番地74
℡0766-53-5661 fax0766-53-5666
(年中無休)
1F.情報発信コーナー 2F.3F.展望デッキ
(24時間開放)その他のコーナーは
9:00~19:00迄
愛犬とお越しの方は自動ドア内には入れませんが、2F・3Fの展望デッキは入場可能となっていますので安心して入場出来ました。愛犬にもやさしい道の駅ですよ。
いずれまた七ちゃんと行きたいと思います。
よろしくね。
今日はお休みです。
今日は「休診」お休みです。よろしくお願い致します。七は朝からたくさん遊んでもらったよ!廊下を90回も走って疲れちゃった。
でもお父さんも大きなお腹を揺らしながら「ハアハア」って走っていたから、かわいそうになって七も疲れたあって感じで座ってあげたんだ~。「今日はこのぐらいで勘弁したるわ~」って何を言ってるのか分からないお父さんでした。^^/
西郷どんの国父さま
西郷どんで、俳優青木崇高さんが演ずる島津久光公「国父さま」です。1817年12月2日、薩摩藩10代藩主島津斉興の五男。11代藩主、兄の斉彬の遺命で、実子忠義が12代藩主につき、久光は「国父」として薩摩藩の実権を握ります。公武合体の為、兵を率いて京都に入り、寺田屋騒動では藩内尊攘派を武力鎮圧!西郷どんでは、有馬さぁの死を放送した部です。さらに久光は勅使大原重徳を奉じて江戸に向かい、幕政改革を推し進めます。新政府では左大臣に任ぜられます。
僕は、島津久光「国父さま」は、藩主以上の才能を持ち合わせた方だと思います。それは、無礼なことを言い放った大島(西郷どん)を結局は切腹させなかったこと!下級武士の大久保さぁを抜擢して傍に置いたこと。
先君斉彬公と同じく身分を問わず!対面して話を聞く姿は、ジョン万次郎と斉彬公を思わせるものだと僕は思うのです。本当は名君と呼ばれる程の方であるのに無位無官であるのは胸が痛くなる思いです。
西郷どんの青木崇高さん演ずる国父さまに注目です。
クロスランドタワーの危機!?
「クロスランドタワー廃止」という記事が北日本新聞社会面(32)に今日!掲載されました。設備の改修に多額の費用がかかるのが主な理由で、安全面での不具合が分かった時点で利用を直ちにやめる。早ければ2025年度までに廃止し、その後は民間譲渡の選択肢もあるが、解体を視野に入れているという。家族でよく利用していたので非常に残念な思いがありますが、回収費用が2億4千万円で、入場者数は近年3万人前後で推移し、維持管理に毎年300万円の赤字だという。
小矢部市のシンボルとはいえ、いつまでも我慢は出来ないのは通りです!タワーがなくなっても来場者数を増やす方法はあります。アイデア次第で来場者も小矢部市もwin-winな関係に出来るのです。
氷見市海鮮館跡地と前の海を利用して『海の釣り堀』を提案したことがありました。クロスランドでも面白いことが必ずや出来ます!!
クロスランドタワーの危機はある意味、大きなチャンスかもしれません!!僕はそう思います。
大阪で地震!
今日6月18日午前7時58分頃大阪で震度6弱を観測しました。僕は早速!従弟にメールしていました。「大丈夫です!タンスが倒れたりしていますが・・・」と返信があり、叔父夫婦の安否確認も出来たということでひと安心しました。余震もまだ続いており、注意をして頂きたいと思います。今回の地震で、3人の命が失われたとNewsで伝えていました!大変残念なことです。日本列島は、プレートの上にありますので、どこにあっても不思議ではないのです。『次はここが危ない』という言葉や文言に左右されるのではなく「どこにあっても怠りなく」行きたいものです。
お兄ちゃんありがとう
お兄ちゃんがスケッチしてくれるって、七ちゃんの前に陣取ります。サラサラッと鉛筆を走らせ、軽快に描写していきます。鉛筆が走っているのは、上の写真が物語っています。描き終えて「七ちゃん!七ちゃん!できたよ~」って。
かわいい七ちゃんに描いてもらって、七ちゃん!尻尾を早く、そして大きく振っていました。『お兄ちゃんありがとう』って、ごきげんな七ちゃん!『また遊んでね。そしてまたスケッチしてね』とお願いするのでした。
西郷どんと共に
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幕末の剣豪、人斬り半次郎と恐れられた中村半次郎です。後の桐野利秋(きりのとしあき)。天保9年(1838)~明治10年(1877)薩摩藩士・軍人。禁門の変での活躍が、西郷どんに認められるきっかけとなります。会津征討軍軍監のち陸軍少将。西南戦争では熊本城攻撃を指揮するが、城山で戦死。
西郷どんでは、芋をとったと農民に追われる少年が、棒を振り回していたシーンがありました。それが半次郎です。西南戦争で西郷隆盛の死を見届けたあと敵に向かうところを頭に銃弾を受け、戦死。その体には、無数の刀傷と貫通した銃創があったといいます。