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思い込み!を考える。4

さて、連休が終わって、日常に戻りましたが、まあ大体、二日くらいしないと気持ちや身体は戻りませんので

のんびりといきましょう。

 

あ!さすがの和歌ちゃん。チーズケーキおいしそうだったよ~!

ありがとう(礼)

 

我が家では、ホットケーキをよく作ります。

妻ではなく・・・私が!!

メープルシロップをたあっぷりとつけて食べるのが大好きで一度に16枚も焼いて振舞います。

 

「どうしたらそんなに綺麗に焼けるの?」ってよく聞かれます。

「ふふっ!何で?」と聞くと・・・「だって、そんな風に見えないもん!」

「何だと~っ!思い込みじゃあ~っ。」(笑)

 

ホットケーキを焼いてるやさしいママのイメージが、おやじが焼いてるお好み焼き!って感じってか?(笑)

 

だけど好きなんです。焼くのが!みんなに食べてもらうのが!

喫茶店みた~い!って言われるのが!

 

我が家ではミルクは入れずに豆乳を投入していますが、とてもおいしく出来上がります。

フライパンは、熱々ではなく軽く冷ましてから、お玉軽く一杯を上からゆっくり落としていきます。

かわいいぽちぽちが出てきたらサッとひっくり返して軽く焼き目をつけて仕上げます。

 

さすがの和歌ちゃんもやってみて!

今度対決しよう!

 

「人は見た目で判断出来ないね!」

 

はい、その通りです!

それが、先ずもって思い込みだと思います。


思い込み!を考える。3

さて今回は思い込み!の3.という事で平成25年4月11日(木)北日本新聞の社会面(33)から転載したいと思う。いつも北日本新聞の社会部・浜田泰輔記者の記事は私の心に優しく留まる。

 

(転載開始)

     13年分の「ありがとう」

交通事故で脳に重い障害を負い全身の自由を奪われた富山市の刀野吾朗さん(30)が13年ぶりに言葉を取り戻した。重い意識障害がありながら文字をつづれるようになり、本誌連載「ずっと伝えたかった」で紹介した中島基樹さん(31)=高岡市=の自宅を家族とともに訪問。手を支えてもらって筆談する方法を教わった。首の動きで「はい」「いいえ」を伝えられるにもかかわらず、医療スタッフから言葉での意思疎通は難しいとされてきた刀野さん。最初に記した言葉は「ありがとう」だった。

   ~ずっと伝えたかった~

「じゃあ、やってみよう」今月6日、家族と一緒に訪ねてきた刀野さんに中島さんの母、依子さん(62)が優しく声を掛けた。

ベッドに横になった刀野さんの右手にペンを持たせると、自らの手を添え「言いたいことはある?」と尋ねた。

ノートの上でペンはゆっくりと動いた。

   <おかあさん ありがとう>

満面の笑みを浮かべる刀野さんを見た母の直美さん(62)は涙を抑えられなかった。

重度障害の刀野さん(富山)

本紙きっかけ 家族と筆談習う

2004年4月刀野さんはバイクを運転中に乗用車と衝突し、頭を強打。搬送先の病院で「2、3日の命」とつげられた。奇跡的に一命を取り留めたものの、意識のもうろうとした状態が続いた。

肺炎を防ぐため医師は鼻からチューブで栄養を送る方法を薦めた。だが直美さんは口からの食事が回復の早道と考えた。手作りの料理をミキサーにかけて流動食にし、わずかに動く右手を介助して食べさせた。建築資材の販売店を営む傍ら朝夕2回病院に通い続けた。回復の兆しが現れたのは事故から1年後のこと。見舞いに来た友人を見て刀野さんは「ふふっ」と笑った。その後首を振って「はい」「いいえ」を伝えられるようになった。

回復が進むにつれ、直美さんは言葉でコミュニケーションを取りたいと考えた。しかし、病院スタッフは意思疎通を補助する福祉機器の操作は難しいとし、試すことはなかった。直美さんもそれを受け入れてきた。

13年ぶりにペンを握った刀野さんの右手は力にみなぎっていた。家族は代わる代わる刀野さんの手を取り”会話”を試みた。兄の洋輔さん(35)が手間取ると<おにいちゃんはだめ> <つかれた> と記した。素直な言葉に家族は笑いに包まれた。そばで見ていた中島さんは<ごろうくんうれしいです ほんとうによかった>とつづった。本紙が連載して以降、刀野さんのように重い障害のある人を介護している家族から「思いを知る方法を教えてほしい」という相談が、中島さん一家に次々と寄せられている。意思疎通の手段はないと思いこんできたケースばかりだという。直美さんは言う。  「わずかな希望を持つことすら諦めている家族がたくさんいる。  今伝えたいのは『絶対に無理』と言うことはないということです」

 (転載終了)

 

医療スタッフから言葉での意思疎通は難しいとされてきた刀野さん!然しだ。その時は、医療スタッフが伝えた通りだったのかもしれないが人間には可能にする力を持っている。可能性があるのだ!

人は思い込みをよしとする傾向がある!!ちょっと待ってほしい!

 

中島さんや刀野さんが10年以上も耐えてこられた今!思い込みを考え直す事の証左である。と私は強く思う!

 

(追記)

北日本新聞の記事によって救われた方がひとりふたりと確実に増えてきている。共にこの素晴らしい!温かく優しい気持ちを共有できる事を心から嬉しく思います。

 

北日本新聞社のみなさん。そして社会部の浜田記者さん。転載させて頂きありがとうございます。

 

刀野さん 中島さん 本当に良かったですね。(安堵)

 

 

 


思い込み!を考える。2

さて、今回のタイトル2.は再び富山県のローカル紙、北日本新聞2013年3月26日(火)の社会、地域面に私自身も危惧している記事が記載されていたので転載し、それに対しての意見を述べてみたいと思う。

 

  ―転載開始―

  県内3人に副反応   子宮頸がんワクチン                                               子宮頸がんのワクチン接種を受けた女性に副反応(副作用)が出たとして、県内の医療機関が国に届け出たケースが3件あったことが、25日の県議会厚生環境厚生委員会で報告された。2件は重篤ではなく、1件は実施主体の市町村が確認中。海老克昌氏(民主・県民ク)の質問に、加納県健康課感染症・疾病対策班長が答えた。健康課によると、子宮頸がんのワクチン接種が、開始された2010年11月から昨年末までで県内では2万2925人が接種を受けた。医師がワクチン接種による副反応と診断したケースは、今月18日現在で3例あった。3例の具体的な症状は不明だが、副反応は一般的に注射部位の痛みや腫れ、全身の疲労感、頭痛などを指す。任意接種だった子宮頸がんのワクチン接種は、4月から予防接種法に基づく定期接種(小学6年~高校1年が対象)になる見込み。加納班長は「ワクチンを正しく理解した上で、安全に接種が受けられるよう積極的に情報提供していきたい」と述べた。 

       ―転載終了―

 ☆ 副反応とはワクチンの予防接種によって起こる、望んでいない反応をいいます。

   

 私の危惧しているところは、2011年3月11日以降に最もテレビに流れていたコマーシャルの後、いつのまにか接種を義務づけるようになっている子宮頸がんワクチン! (女優二科亜紀子編)テレビで頭に刷り込みをしているのか?と勘繰るのは、私だけでしょうか?(しつこいくらい流れていた)テレビコマーシャルを見る事によって、たくさんの思い込みをつくっているんじゃないのだろうか?

 

今回、北日本新聞の記事は、あまり目立たぬ大きさの記事であり、目に留まった!という人は、おそらく少ないだろうと思います。

 

つい最近にも10歳の男子が、他のワクチンを接種後に亡くなるという悲しい出来事があったのに・・・・接種の前までは、普段どおりの生活をおくっていたのに・・・・・どんな調査をしたのか因果関係はなかったという?私が思うに100%ソレが原因だと思う!

 

こういう事が起きないようにするにはどうしたらいいか!

本当に他人事ではなく、自分もまた当事者になりうる可能性はゼロではない!という現実を受け止め無関心でなく!みんなが行くから!でなく、よくよく調べてから、話し合ってから・・・思い込み!がないかを考えて行動する!ことだと思う。

 

以上に記した事は、私的意見である。・・・北日本新聞さん転載させて頂きありがとうございました。

ひとりでも苦しむひと、家族ができないように・・・・・・・・    (祈)

 


思い込み!を考える。

昨日の3月20日(水)春分の日は妻の実家で、田んぼの下準備でトラクターに乗って周りの溝を掘ってきました。掘り切れない所はスコップで掘り起こします。結構いい汗をかきました。これからは益々忙しくなりそうです。

 

一段落して、まだ読んでいなかった新聞をみて心に響く記事がありました。

2013年3月20日水曜日 北日本新聞の社会面(34)です。

 お伝えしたくて!     ―転載開始―

 

 ずっと伝えたかった(3) 出会い どうしてわかるの?

<ぼくは いしきがあります わかっているのに わからないと おもわれてきた これからはたくさんはなさなければなりません>

波打つフェルトペンの筆跡から、強い意志が伝わってくる。

遷延性意識障害の中島基樹さん(31)=高岡市木津=が先月自らの手でつづった文章だ。20歳の時に心臓発作で倒れ、声や体の動きを奪われた彼が再び意思表示の方法を手に入れたのはことし1月のこと。ある出会いがきっかけだった。

 

昨年11月、中島さんの母の依子さん(62)は、一つの新聞記事に目を奪われた。わずかな筋肉の動きを拾う特殊な器具を使うことで、文章を書けるようになった重度障害児を紹介していた。「もしかしたら基樹も・・・」。この手法を考案した国学院大の柴田保之教授(障害児教育学)に連絡し、自宅に招いた。約束の1月6日。教授は早速、器具とそれをつなぐパソコンを取り出した。画面には50音が表示され自動的に動くカーソルが示す文字の音声が流れる。思い描いた文字に反応する体の動きで、文字を選ぶ仕組みだ。

教授が中島さんの利き手の左手に器具を当てると、文字は次々と選ばれていった。

 <なかしまもとき どうしてわかるのですか ちいさいちからでつたわるのでうそみたいです>

そばで見ていた両親は半信半疑だった。教授が文字を選んでいるようにも見えたからだ。「手は間違いなく動いてますよ」。教授は両親に筆談を試すよう勧めた。

父の利明さん(64)は言われるまま中島さんの左手にペンを固定し、自らの手を添えた。「今、何歳?」と問い掛けると、わずかに手を押す力を感じた。「IE」。その力に任せて書いた線は一見、意味を成していないように見えた。しかし、左右を反転すると「31」になることに気付いた。左利きの中島さんの幼い頃の癖だった。 「本当に基樹だ!」。両親は我が子がしっかりと言葉を理解していると確信した。二人で中島さんを抱き寄せ、泣いた。「分かってやれなくてごめんね」

 

両親は中島さんの左手を毎日握った。わずかな力を読み取ることは難しかったが、つづられる文章は少しずつ長くなっていった。中島さんも精いっぱい気持ちを表現した。

 <あきらめないでと みんなにつたえたい>

同じ境遇に置かれた障害のある人たちへのエールだった。そして、自らもリハビリに意欲を燃やした。

 <はやくたべられるようになりたい あるけるようになりたい>

一方で、気持ちを伝えることができなかった11年間の孤独も振り返った。

<いぬになりたかった いぬだったらわんわんとほえられたから>

2月中旬、高校時代からの友人3人がたずねてきた。中島さんが倒れてからも、頻繁に会いに来てくれているメンバーだ。

 <ほっかいどうつあー たのしかった>

中島さんが切り出した。倒れる半年前、このメンバーで北海道を旅行した思い出だった。一緒に温泉やカラオケに行ったこと、結婚した同級生に生のこと…。友人たちは交代に中島さんの手を取り”会話”に花を咲かせた。みんなが帰った後、中島さんが依子さんに伝えた。

 <にんげんて たのしい> 

 

 ―転載終了―

昨日、妻の実家で思わず心打たれ涙が止まらなかった。  

 今の転載中も胸にグッとくるものがありジッと何とか耐えた。

たったひとつの思い込みから彼は11年間も耐えていた。

 私も思い込みから何か・・・・

 

(追記)

北日本新聞さん!色々と気付く事がありました。

転載させて頂き、ありがとうございました。

中島家のみなさん!・・・ にんげんてたのしい!

 私たちも心からそう思える生き方をしたい!と

感じました。 ありがとうございました。(礼)