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お寺の掃除!

昨日は朝から地元の憶念寺さまの境内を綺麗にしてきました。草刈り機を使って、ゆっくりと苔を傷めないように優しく刈っていきます。お寺の地面は僕が担当し、立派な松などの造園はお隣りの紫藤さんが担当されています。

 

ゆっくりと丁寧に仕上げてお昼少し前に終了しました。神社仏閣はやはり美しくどっしりとした感じがあり、何か不思議な雰囲気があります!それを深呼吸して体内に取り入れて戻りました。

 

家に戻ってからすぐに、家の周りと田圃の周りの畦を草刈り機を酷使させて刈りました。草の香りが充満する中を刈り進めていきます。終了した時の充実感は何とも言えないものがあります。

 

お寺の掃除をして綺麗になったのは境内だけでなく、僕自身の身体やこころまで掃除されたような気がしました。

 

神社仏閣へと足を運んでみませんか!何か不思議な新しい発見があるかもしれません。日本人にとって大切な何かがある場所!鳥居や

門を頭を下げてくぐり、進んでみませんか!

 

もやもやとするものが吹き飛ぶ!かもしれませんよ。(礼)


糸瓜活用!

先日、またまた登場の中村さんと妻と三人で、糸瓜(ヘチマ)栽培から、糸瓜束子(ヘチマたわし)の作り方や活用法など情報交換をしました。我が家では3年前に、中村家は今年に栽培しています。

 

暑い夏を少しでも涼しく過ごす為にグリーンカーテンを始めたのですが、どうせなら実のなるものが良いだろうと思い!!パッションフルーツや糸瓜を網にはわせた訳です。

 

日に日に伸びていくツルを毎日眺めるのも良し、実の成長を楽しむも良し!なかなかに楽しませてくれますし、日陰のお蔭で涼も感じる事ができ、そして何より!実を楽しむ事ができるのです。(喜)

 

自分の望む大きさに成長した糸瓜を収穫します。生の糸瓜をお好み

の大きさに包丁で切っていきます。(身体用、台所用、野菜洗用)

大きめのお鍋にお湯を沸かし、お好みの大きさに切った糸瓜を入れ

煮つめていきます。(茹)

 

実が柔らかくなりましたら火を止め冷まします。すぐに水で冷やしても良いのですが、冷ましたほうが実や種が取り除き易いと思います。実や種はきれいに取り去ります。残りますと黒く変色しカビてしまいます。

 

きれいになりましたらパリパリになるまで干して糸瓜束子の出来上がりです。我が家の糸瓜束子は3年使用していますがそのままの姿できれいなものです。お風呂の中でゴシゴシ洗いをした後の違いは

正に凄い!の一言に尽きます。体験しているからこそ伝えることが

出来るのです。

 

昔からの言い伝えや、古くから使われてきたものは凄いのです!!今回の束子においても石油製品のスポンジタワシなど比ではないと

実感できること自体が凄い!

 

日本人は、その先人達の残してくれた大切なものを忘れつつあると思います。以前にお伝えした素晴らしい掟!年長者にはお辞儀をせねばなりませぬ!(会津の什の掟)そしてその方のその時代の話を聞かせて頂けるならば!少しでも大切なものを忘れる事無く継承できると強く思うのです。(望)

 

糸瓜の話から、さまざまなことを学び日本人らしく生きたいなあ!などと中村さんとお話しをして実感した次第です。(拝)

 

 

 


無農薬畑のすすめ!

今朝も気持ち良く歩いてきました。少し温かな空気が流れていました。稲刈りも終盤に移り、空気の香りも稲と土の混ざり合う、秋のなつかしい匂いと思い出とが漂います。

 

妻に秋のなつかしい匂いの話をしましたら「子供の頃は、何かもっと匂いがもう少し強かったような気がする」と。「う~ん!なるほど!そうかもしれないな」今ではもう忘れそうな記憶ですね。

 

家に到着して時計に目をやるとまだ5時30分だ!よ~し畑を耕して冬野菜の準備だ~。と、汗ばんだ帽子を取り替えてクワを持って畑へ直行しました。

 

我が家では、お袋のこだわりで農薬や化学肥料の類は一切使用しません。僕と妻もそれを継承しています。クスリにはリスクがついてくると分かっているからです。

 

どこにでも生き物がいて当たり前なのです。やってきて当たり前、それをまた捕食する生き物も必ず現れます。それをクスリ(農薬)でいなくする方法は、生態系のバランスを大幅に狂わせ、頂点に

 立っている人類にじわりじわりと気づかれずに時間をかけて襲ってくるのです。

 

虫がくるから防虫剤?周りに草が生えるから除草剤?それらは作物が吸収して 体内に取り込まれていきます。じゃあどうすればいいのか!? ハイ!身近にあるもので作ればいいのです。

 

 焼酎に唐辛子を入れて一週間寝かせます。色が出てこれば出来上がりです。水で薄めてスプレーします。(安心防虫です)周りの草は取って一か所に集めて堆肥にします。せっかくの宝物ですから無駄にしません。

 

チョットずつ変えていくだけでいいのです。何年か掛けて変えていってもいいのです。自分たちの土地の土壌を少しづつ良い状態に戻していくだけなのです。安心安全な作物は肥沃な土壌からしか実りません。

 

無農薬農業で医食同源!日本人の強いからだを!病気にならぬからだを!今から始めませんか?考えを変えて踏み出しませんか?

先ずは一歩です。・・・・・千里の道も一歩から!


什の掟。

       什の掟

㈠ 年長者の言うことに背いてはなりませぬ。

㈡ 年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ。

㈢ 嘘を言うてはなりませぬ。

㈣ 卑怯な振舞いをしてはなりませぬ。

㈤ 弱い者をいじめてはなりませぬ。

㈥ 戸外でものを食べてはなりませぬ。

㈦ 戸外で婦人と言葉を交わしてはなりませぬ。

  ならぬことはならぬものです。

 

以上に掲げた什の掟は、会津藩上士の子息が六歳になると居住する地域によって『什』という子供達の組織に振り分けられ「什の掟」(什の誓い)を教えられ会津武士の基礎を身に付けたのです。

 

 古き尊い教えですが、㈠から㈥までの掟は現代においても相当通用するものであると思います。㈦においては武士としての規律とりりしさを保ちお家を守る為に当時としては必要であったと思います。

 

最後の言葉に、七つの掟をもう一度強調してあるところに会津魂が込められています。僕は今の平成の御代に、もう一度古き尊い教えを取り戻して伝えていくならば、必ずや良き時代が訪れると信じています。

 

ならぬことはならぬものです。(込)

 


獅子舞奉納!

秋の大祭獅子舞奉納を終えて帰って来ました。親方の依頼を受諾し、太鼓を打ってきました。若連中の頑張りと意気込みは僕のこころに強く響きました。親方の綺麗な声が境内に響き渡った御祝儀口上!すばらしい!!涙が出るほどの口上でした。

 

僕は、今日は雨で大変だと!テレビや新聞が騒いでいたことは知っていましたけれどやはり晴れて青空まで仰がせて頂いた事に只、ひたすら感謝の念にたえません!本当にすべてに感謝です。

 

日本人にとって最も大切なお祭り!それを執り行えることをこころからありがたく思う次第です。ありがとうございます!


秋祭り!

今日は秋祭りです。然し、本当の祭の日は9月3日なのです。2年まえから9月の第一日曜日に変更したのです。僕としては祭の期日は変更するものではないと思っています。氏神様のお祭りは好き勝手に決定したものではない!と思うからで先人というかご先祖さん

方が守ってこられた大切なこと!だと思うのです。ひと寄せなどではないのです。

 

だけれどもひとがそれぞれ違うように思いもそれぞれに違いがあっても良いのだと思います。先日の『生き仏』が言われるように道がそれたら戻れば良いんです。至極当然の言葉が胸に響きます。

 

先人が大切に守ってこられたものを我々がこころを込め包み込むように大切にしていきたいとあらためて感じた次第です。(拝)

 

追申

獅子の親方に太鼓を打て!と依頼されたので行ってきま~す。

 

 


美しい日本人の振る舞い!1

先日、妻が友人に夕食に招待され出かけました。小矢部市にある、僕に言わせれば日本!を感じる料亭である!書家である友人は、診療中の僕に気づかってくれ恐縮したところです。

 

本来なれば、着物が似合う料亭!う~ん。今は浴衣でもいいなあ!

そんなこんなで友人夫妻と妻は食事を楽しんだようです。

本当にありがとう!嬉しそうに語る妻を見て僕も嬉しかった~!

 

いろいろと楽しかった内容を聞いた後に妻がひと言!「マー君ってお箸の使い方がすっごく綺麗だった」!。書家であるから!とかではなく僕は「日本人だからだ」と、ひと言!

 

それは、日本人なれば当たり前の作法である!と、僕は思っています。もう一度、原点に戻り、きちんとした教えを伝えることなのです!僕が幼い頃は、左手でお箸を持つときつく叱られたものです!

 

あまり固いことを言うな!と、思われる方もあるかもしれません。然し!言わないと!伝えないといけない時期にあると僕のこころが思うのです。

 

大切な食べ物をお口に入れたら決して開けてはいけないし、クチャクチャと音をたてるなど、してはならない事であり教えでした。

今は、如何でしょう?

 

しっかりと日本人の美しい振る舞いを身に付ける事を大切にするならば!もっとこの国に住むひとの立ち居振る舞いが、そしてひとのこころが美しくなる!と、妻と話していて強く感じたのです。

 

押し付けでなく!

一考なれば!


お礼参りに行きました。

先日、南砺市の越中一ノ宮高瀬神社へ妻とお礼参りに行ってまいりました。先月の第62回式年遷宮お白石持行事を無事行なえました事の感謝と御礼を申し上げるべく参拝致しました。

 

天候もその日と同様に暑く、噴き出す汗がシャツに吸収されていくのを感じます。拝殿にて本殿に感謝と御礼を申し上げたところ!暑いはずが清浄な風がふたりを包み癒してくれ、おもわず目と目を合わせてしまいました。

 

参拝をしたあと事務所に伺い巫女さんと伊勢のお話をし、高瀬神社をあとにしました。あらためまして高瀬神社、神嶋神社の河合宮司お二人にはほんとうにお世話になりありがとうございました。

 

新内宮御正殿は僕の目に鮮明に焼きついています。一生忘れない!と、僕のこころがはっきりと言っています。

ほんとうに感謝です!(礼)


虫送り!

伊勢から戻った7月28日あたりから田んぼを防除する光景がよく目につきます。神宮さんの神域に入らせて頂いてからは何かしら違和感を感じることがあります。

 

ひとつをあげてみると今の時期には地元の誉建神社(ほんたけじんじゃ)にて、虫送り祭りが行なわれます。そうして氏子宅に虫送りの紙垂が配布されます。なので、虫送りの紙垂を田んぼにそえておいての防除というのは違和感というか・・?と思ってしまうのです。

 

各地で虫送りやねつ送りの行事が行なわれています。が!やはり農薬に頼りきってしまう現実!う~ん!何とかならぬものか?と、スッキリしない頭で思いを巡らせているが、スッキリとした名案が浮かばない!

 

茶道の先生にぽつりと打ち明けてみると、やはり流石である!

先生は能登のお生まれで子供のころ松明を持ち虫送りをした経験があるそうです。農薬に頼りきった現代農業を考えなおし少しでも元に戻そうとするのであれば先生は誘蛾灯!と、おっしゃいました。

 

誘蛾灯は僕の子供時代には虫を捕まえるひとつの手段でした。夜中にこっそりと出向きクワガタ虫やかぶと虫がいないか見に行くのです。大抵は上級生に先を越されているのですが・・・そんなことに真剣だったことを思い出します。

 

    誘蛾灯とは?

 

誘蛾灯(ゆうがとう)とは、光に集まる性質(走行性)をもつ昆虫を灯火で誘引する装置をいう。誘蛾灯の起源は、光源に松明(たいまつ)や篝火(かがりび)を用いて、ウンカやニカメイガを誘引して焼き殺したことにさかのぼる。時代が移り、光源は行灯(あんどん)、カンテラ灯、アセチレン灯へと進む。大正時代に入ると農村の電化が進み、光源は電球に変わる。第二次世界大戦前には、蛍光灯が一般家庭に普及する以前に誘蛾灯の光源として用いられ、戦後まもなくまで続くが、占領軍の指令や農薬の普及によって急激に減少し、誘殺を目的とした誘蛾灯は、特殊な害虫を対象とする以外は、ほとんど用いられなくなった。一方、誘蛾灯を害虫の発生状況を知ったり、発生予知に利用しようとする気運が明治時代に起こり、現在では、この目的のために広く用いられ、予察灯とよばれている。予察灯は、その年の発生状況の把握と発生予知のための長期間のデータ蓄積とを目的とし、都道府県の病害虫防除所によって、害虫の発生期間中、日別に調査されている。予察灯の光源は対象作物や害虫によって異なり、高圧水銀灯、青色・白色蛍光灯、ブラックライトなどが用いられているが、一般作物では60ワット白熱灯を用いることが規定されている。誘蛾灯には水盤に油を滴らして殺虫する湿式と、殺虫箱を用いる乾式とがあるが、現在の予察灯は乾式と規定され、光源 ロート、殺虫箱とで構成されている。        (執筆者:岸野賢一さんより引用) 

 

 

現在は予察灯というらしいが、田んぼ一面に農薬を散布するよりいいのではないか!と、僕は思います。少しでも進むのではなく、ほんの少しだけでも昔の農業に戻し、これからを担う子供達に安心安全といえる食を継承させることが出来れば!と強く思うのです。

 

妻の実家でお米を作るようになり日本人の主食を見つめ直すようになりました。伊勢から戻ってから虫送りのことや防除などを見て思うこと気になっていることを書いてみた次第です。


伊勢神宮より戻りました。2

 

お白石が見えてきました!ひとりにひとつのお白石を白い布の上にのせ受け取りを済ませました。丁寧に包み込み大事に胸の前に持ち、前にすすみます。途中で宮司さんからお祓いを受けます。ひたすら内宮の新しい御正殿を目指して前にすすみます。

 

新宮御正殿前の石段をゆっくりとすすみ、鳥居にて一礼のあと門をくぐり御正殿内に入ります。まさに緊張の一瞬です!御前に大事に持ち込んだお白石を奉献し礼をしてすすんでいきます。何人か門番の方だろうか?眼光が鋭く感じます!また、奉献した方々を写真撮影されているようでした。新宮御正殿の真後ろを一礼して出ていきます。各、鳥居を一礼しながらあとにして宇治橋に戻りました。

 

お白石を納めた奉曳車の前にて記念撮影を終えたのが10:10分頃でした。そのあとは、おもてなし広場で記念品をいただいてすべてが終了致しました。みなさん!ありがとうございました。

 

そのあとは、神宮会館にて白装束を着替えて11:30分に昼食です。着替えた時点で10:30分昼食まで1時間もあったので妻とふたりで会館前の喫茶店で妻は白玉を食べ、僕は恵比須顔で冷たいビールで祝杯をあげました。(嬉)

 

会館に戻り昼食を頂いて13:00帰路につきました。我が家に到着したのは18:30でした。富山県神社庁のみなさん!ほんとうにありがとうございました。砺波支部のみなさんありがとうございました。

 

そして伊勢のお世話してくださいましたみなさんにこころから感謝!です。また、長時間にわたり、そして早朝よりバスの運転と僕たちを楽しませてくださいました加越能観光の運転士とガイドさんほんとうにありがとうございました。

 

長年の僕の夢が叶った瞬間でした。

 

伊勢に行けば、神宮に入れば日本を強く感ずることができます!

ほんとうの日本人を知ることができるのです!僕は強く思っています!日本人らしく生きたいと!!