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左義長。

今日は、左義長が行われました。正月飾りや、子供たちが書いた書き初めなどの願いが空高く舞い踊り、そして天に昇っていきました。

 

僕が子供の頃は、お餅を竹に付けて、火に炙り頂いたものです。今では、そういう事も廃れてきたのかもしれませんね?

 

左義長、どんど焼きなど、地方によっては呼び名が違うかもしれませんが、日本中に日本人としての仕来たりや、神道行事として継承していくという尊いものが残っていることに、ある意味期待と、そして日本人としての誇りを感じています。

 

子供たちが何も考えないでいても、お正月の行事として頭の隅にでも憶えてほしいなあ・・・。と、思う次第です。拝、


1月11日は鏡開きです。

早いもので、今日1月11日は鏡開きです。神仏のお供え物をおさげして

年神さまのお力を頂きます。

 

我が家では、よろ昆布のよくきいた

出汁がおいしいお雑煮と海苔を巻いて、頂きました。(旨)

 (葉のない枝に雪の花が咲きました)

気のせいか?年神さまのお力を分けて頂いたからか?何だか昨日とは違う気分で居るのが不思議です。僕のお腹は太鼓腹ではありますが、ばちで打ち響くように力が漲ってきます。(笑)

 

然し、日本人って本当に奥が深いです。淡々と、いや知らず知らずの内に神道行事をこなしているのですから。

 

13日(月)には、成人式のあと左義長が行われます。


人日の節句。(じんじつのせっく)

今日、正月七日は『人日の節句』であります。五節句の最初の節句であり七草粥を楽しむ日でもあります。

 

『人日の節句』は、厄払いと一年の無病息災を祈願する日で万病除けと邪気払いに良いとされる七草粥を頂き、その味覚を楽しむのです。正月七日の朝に七草粥を食べると、その年は病気にかからず寿命ものびると言われます。若菜を食べる事によって生命力を身体に取り込む呪術的意味合いが深いとされますが、迷信ではなく医学的にも効能があることがわかりました。

 

一月の味覚の代表『七草粥』の素材は『春の七草』せり、なずな(ぺんぺん草)、ごぎょう(母子草)、はこべら(ハコベ)、ほとけのざ(コオニタビラコ)、すずな(蕪)、すずしろ(大根)で、その効能を調べてみました。

 

せりの効能 健胃、食欲増進、解熱、利尿、去痰など

なずなの効能 止血、消炎、鎮痛、利尿、解熱など

ごぎょう(母子草)の効能 咳止め、扁桃腺炎の予防、利尿など

はこべらの効能 利尿、歯痛、消炎など

ほとけのざ(コオニタビラコ)の効能 健胃、食欲増進など

すずな(蕪)の効能 消化促進、解熱、咳止めなど

すずしろ(大根)の効能 消化促進、咳止め、利尿など

 

お正月のごちそう三昧で疲れた胃腸には『七草粥』なら消化にも良く、青物が不足しがちな冬にビタミンや葉緑素を摂って病気を予防する効果もありそうです。

        (年中行事を五感で味わう 山下柚実 著より)

 

知らず知らずのうちに何故か、しきたりとして行なっていることは日本人だからなのです。古式に則り生きていくのは、日本人としての美徳であると信じています。(礼)

 

 

 

 


越中一宮に参拝して。

今日は、いつもお世話になっている富山県南砺市に御鎮座になります高瀬神社に参拝してきました。

 

晴天に恵まれ、初詣の参拝者で賑わいを見せていました。日本人として、一番日本人を感じるのがお正月なのですから。

 

何にも考えないでいてもお正月には「あけましておめでとうございます。」と挨拶を交わし、神の前にて手を合わせ、仏の前にて手を合わせる。それが日本人の習慣であり、当り前の行事なのです。

 

何故そうするのか?大半は僕も含めてあんまり分からないままに行なっているのです。これが、日本人としての仕来たりなのです。

日本人として仕来たりを大切に生きることは忘れずに生きたいものです。


誉建神社元始祭。

新年二日目の今日、誉建神社元始祭に行ってきました。厳かに巫女舞いの奉納のあと、厄年の身祝いがあり

殿(しんがり)に柴田接骨院のお祓いを賜りました。(礼)

 

直会では、河合宮司さんに伊勢神宮御遷宮のお白石持ち行事の御礼かたがた熱く語り、一献傾けて参りました。本当にありがとうございます。(礼)

 

本年も全身全霊で、すべての痛みを対処していきたいと強くこころに留めた次第です。

 

当院とこのブログが一考一助となれるように・・・・・・・。  拝、

 


あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

 

左の正月飾りは、患者様からこころを込めて当院に送られた宝物です。

すべて手作りの作品なのです。

 

お隣の地区の大島さんの本当にこころの温まるお飾りであります。当院としても、これだけのお飾りは勿論目にした事はなく、夫婦で胸熱く感動し胸いっぱいになりました!ありがとうございます。(大島さんに心より感謝致します)

 

富山県神社庁より大麻を頂きましたが、平成二十六年の指針として明治天皇御製がございました。新年に当たり謹んで引用転載させて頂きます。(礼)

 

(皇紀2674年)平成26年甲午(きのえうま)

          『明治天皇御製』

            巖 上 松

     あらし吹く世にも動くな人ごころ

               いはほにねざす松のごとくに

 

「解釈」

たとえ、どのように嵐が吹きすさぶはげしい世の中の変動にあっても、あの巖の上に、どっしりと根を張っている松の大木のように、しっかりとした信念を持って、心を動揺させてはなりません。

 

年頭に当たり、このような御製を拝し、こころに留め置かなければと思います。昨今の世界や日本の情勢を考えてみると、さもありなんと感じるのです。

 

どんな変動であろうとも落ち着いて、動揺せず信念を持って対処したいと思う次第です。

 

今年も何卒よろしくお願いいたします。      拝、

 

 


ひとを大切に思うこころ。

最近の日本は冬でもあり冷え込んでいます。世界に目をやっても内戦や

領域についての主張の違いがあり冷えている状況にあると思います。

 

ひとを大切に思うこころが、ほんの少しだけ冷えてきているのかも知れません。自分の家族は大切に思えるけれど、他人はそう思わない!

 

だけれど然し、外国で日本人と会ったり日本人かな?と思えるひとが居るだけでホッとしてしまうのは何故だろう・・・・?

家族を守る。いのちに代えても護らなければならないものが有る。

 

僕自身、これは何度も見て涙が止まらなかった!何度見ても・・・

(以下転載開始)

 

  

  ☆ 静ちゃんへの手紙  ~神風特攻隊員の兄と幼き妹~

      大石清 伍長「妹への手紙」

大阪府出身で飛行学校の大石清伍長は、昭和20年3月13.4日の大阪大空襲で父を失い、重病だった母親も亡くす。肉親は大石伍長の妹である静恵さん当時小学生。兄が戦場に行き、妹は伯父の元に引き取られていた。

 

妹思いの兄は給与のほとんどを妹に送金しており、このような手紙をやりとりしたという。

 

  ☆ 静ちゃん

お便りありがとう。何べんも何べんも読みました。お送りしたお金こんなに喜んでもらえるとは思いませんでした。神棚などに供えなくてもよいから必要なものは何でも買って、つかって下さい。

兄ちゃんの給料はうんとありますし、隊にいるとお金を使うこともありませんから、これからも静ちゃんのサイフが空っぽにならない様、毎月送ります。では元気で、おじさん、おばさんによろしく。

 

戦況の悪化ににより、鹿児島県知覧のみであった特別攻撃隊の飛行場の補助として作られた万世基地では、昭和20年3月29日から終戦まで飛行第66戦隊、飛行第55戦隊が一機また一機と飛び立った。

 

同年5月20日、大石清伍長が到着。その数日後・・・・

次の遺書を整備担当であった大野沢威徳氏に預け出撃し散華した。

 

  ☆ なつかしい静ちゃん!おわかれの時がきました。

兄ちゃんはいよいよ出撃します。この手紙がとどくころは、沖なわの海に散っています。思いがけない父、母の死で、幼い静ちゃんを一人のこしていくのは、とてもかなしいのですが、ゆるしてください。兄ちゃんのかたみとして、静ちゃんの名であずけていた郵便通帳とハンコ、これは静ちゃんが女学校に上がるときにつかってください。時計と軍刀も送ります。これも木下のおじさんにたのんで、売ってお金にかえなさい。兄ちゃんのかたみなどより、これからの静ちゃんの人生のほうが大事なのです。もうプロペラがまわっています。さあ出撃です。兄ちゃんは征きます。 泣くなよ静ちゃん。 がんばれ!

 

この遺書を預かった大野沢威徳氏は次のような手紙を添えている。

 

  ☆ 大石静恵ちゃん

突然、見知らぬ者からの手紙でおどろかれたことと思います。わたしは大石伍長どのの飛行機がかりの兵隊です。伍長どのは今日、みごとに出げきされました。その時、このお手紙をわたしにあずけて行かれました。おとどけいたします。

 

伍長どのは、静恵ちゃんのつくった人形を大へん大事にしておられました。いつも、その小さな人形を飛行服の背中に吊っておられました。ほかの飛行兵の人は、みんな腰や落下傘の縛帯の胸にぶらさげているのですが、伍長どのは、突入する時に人形が怖がると可哀そうと言っておんぶでもするように背中に吊っておられました。

飛行機にのるため走って行かれる時など、その人形がゆらゆらとすがりつくようにゆれて、うしろからでも一目で、あれが伍長どのとすぐにわかりました。伍長どのは、いつも静恵ちゃんといっしょに居るつもりだったのでしょう。

 

同行二人。仏さまのことばでそう言います。苦しいときも、さびしいときも、ひとりぽっちではない。いつも仏さまがそばにいてはげましてくださる。

 

伍長どのの仏さまは、きっと静恵ちゃんだったのでしょう。けれど今日からは伍長どのが静恵ちゃんの『仏さま』になって、いつも見ていてくださることと信じます。

 

伍長どのは勇かんに敵の空母に体当りされました。静恵ちゃんも、りっぱな兄さんに負けないよう、元気を出して勉強して下さい。

さようなら

 

 

幼い妹を一人残して逝く大石伍長の悲痛な句が残されている。・・

 

「妹のことを伯父にたのみ、新宮駅にて訣別。妹泣く。伯父上夫婦も泣く。せめてあと数日、妹の傍に居てやりたし」

 

 

終戦まで三か月弱前の五月二十日、特攻出撃。

 

 

「静ちゃん」は十一歳。大石清の年齢はわからない。「中学三年から飛行学校」へ行ったという事から推測し・・・・・

十七、八歳ではなかったかと思われる。

 

(転載終了)

 

僕は何度も見て、読んで涙が止まらなかった・・・。

我々の祖父であり、父である年齢の方の話である!!

将来の日本を我々に託して逝かれていると僕は理解をしています。

 

今現在!大石清伍長をはじめ、先人に胸を張って良いのだろうか?

今の日本に納得されているだろうか?

 

こころが冷え込んできている今!

ひとり!思いを巡らせています。

    


嬉しい気持ちに。

先日、嬉しい気持ちになりこころがほっとしました。やはり師走となりますと僕でも何故か気ぜわしく且つ、忙しく感じます。

 

何でもないのに『アレもしてコレもして』と、ひとりで慌てていたような。(笑)

そんな時に起こった嬉しい出来事です!!

 

以前!僕たち夫婦がこころに響く天使の声

に感動しブログにそのままをお伝えしました。それから大至さんをはじめ気仙沼線普及委員会のみなさんとメールで繋がり、こころ温まる思いを何度もさせていただきました。

 

何と!気仙沼線普及委員会さんから大至さん主催の忘年会のお誘いでした!師走となり、ひとりで慌てていた所でしたのでハッ!として、嬉しい気持ちになりました。ありがとうございます。(礼)

 

早速のお誘いに是非ともお伺いし、みなさんとお会いしたい気持ちでいっぱいになりました。然し乍らこちらでも予定が入っている為に残念でありました。

 

天使の声!大至さんの気仙沼線から溢れ出るこころの叫び!を聞かれましたならば、こころの共鳴する!ということをお感じになれると僕は思います。

 

右上の写真が気仙沼線のCDです。このCDには大至さんをはじめ気仙沼線普及委員会みなさんの熱き思いの結晶であり宝なのです。

投じられた多くの魂の重みが波紋となり、今も広がっています!

 

来年の今頃でしょうか・・・?

日本中に天使の声!が響き渡ります。          拝、

 

 

 

 

 

 

 

 


考えさせられること。

平和ぼけした僕のこころに飛び込んでしまったものがあります。

兎角人間とは、忘れる生きものです。それは恥ずかしながら分かっています。

 

前々回の拙ブログで、『ことば』の事を書きました。正に言葉は!生きています!!以下動画から転載致します。

 

(転載開始)

         女子高生の怒り

 

    旅行先での駐屯地祭の話

  例によって変な団体が来て、私はやーな気分

     その集団に向かって

  一人の女子高生とおぼしき少女が向かっていく

 

 

少女「あんたら地元の人間か?」

 

団体「私達は全国から集まった市民団体で・・云々」

 

少女「で、何しにきたんや?」

 

団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる・・

                     云々」

 

少女「私は神戸の人間や はるばる電車のって

        何しにここまで来たかわかるか?」

 

団体「・・・・?」

 

少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのは

    ここの部隊の人や!!

     寒い中ご飯作ってくれて

      風呂も沸かしてくれて

  夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのも・・

       ここの部隊の人や!!

  私は、その人たちにお礼を言いにきたんや!

       あんたらにわかるか?

  消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が・・・

ここの人らは歩いて来てくれはったんや・・・」

 

 

  最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は

次第に涙声に変わっていった・・・・

 

 

団体は撤退・・・・

 

  彼女が門をくぐった時に守衛さんが

        社交辞令の軽い敬礼ではなく

     直立不動のまま敬礼していた・・・・・・

(転載終了)

 

あの阪神大震災のあとにあった実話であろうと思われます。少し、怒りの感もあるのですが、日本人として失くしてはならない事を

教えてくれています。

 

決して忘れてはならないこと。

風化させてはならないこと。

無念にも旅立たなければならなかった方々の分まで

生きて伝えなければならない。

 

そして今、ここにいることに感謝・・・・。

おかげさまで・・・・。  (礼)     

 

 

 

 

 

 

 

 


ちょっと気になる事。

最近ちょっと気になる事があります。どこに行っても携帯電話!というかスマホ!をしているひとが多く、隣にいるひとと会話をしている光景が激減しているのではないかと思います。

 

前にも拙ブログで、物に依存する危険性を書きましたが今回は、又違う視点で考えたいと思います。日本人は手紙を書いて気持ちを伝えるという文字にこころを込める事を大切にしてきました。

 

僕の中学時代は文通!そのあとは交換日記であったり?まあ~した事ないから分かりませんが!そうだったと思います。きたない字は書けない見せれないと、ひと文字ひと文字にこころを込めて。^^

 

ですから字は、誰の書かれたものであっても達筆が多く、綺麗な字だなあ!と自分もそうなりたい思いで頑張った記憶があります。

 

翻って今はどうだろうか?先日、従弟の子に会った時にスマホをそれは流暢に使うのを見て、書く事はあるのか?尋ねると「パソコンで文書作成にメールで送信ばかりだから書かないなあ」と答える。

 

これからの時代は、益々そのような状況であろうと思われます。が、いつだったか忘れたのですがNHKの朝のニュースの合間でした!毛筆書きをひたすらする若い女性が増えていると紹介されていました。背筋をピンと伸ばし書かれている姿に、日本人の美しさを見た!思いがしました。

 

綺麗な言葉を流暢に話し、字は大切にこころを込めて書いていく事により、攻撃的な口調や欺きや、いじめなど日本人として恥ずべき行為は無くなるものと信じています。

 

機械に依存や振り回される事無く生活出来るようにしたいと僕自身強く思っています。押し付けでなく一考なれば!

次回は、お子さんへの言葉と字の楽しさについて一考します。