今回、またしても古くて珍しい写真を発見してしまいました。
奉安殿落成記念という事で僕の祖父のたった一枚の写真なのです。
それよりも奉安殿って何ですか?という声が聞こえてきそうなので、調べてみました。知りたいと思ったらすぐにでも調べるのが僕たちの方針なのです。最近!忘れっぽいので特に・・・。(笑)
奉安殿(ほうあんでん)とは、戦前の日本において、天皇と皇后の写真(御真影)と教育勅語を納めていた建物である。
御真影の下賜が始まった時期は、教育勅語が制定された後の1910年代であり、奉安殿の成立もその時期と推測される。(小学校の奉安殿建築は1935年頃に活発化)また学校への宿直も、この御真影の保護を目的として始められた面もある。
四大節祝賀式典の際には、職員生徒全員で御真影に対しての最敬礼を奉る事と教育勅語の奉読が求められた。また、登下校時や単に前を通過する際にも、職員生徒全てが服装を正してから最敬礼するように定められていた。
日本が第二次世界大戦で敗れた年の1945年(昭和20年)12月15日
GHQの神道指令の為、奉安殿は廃止された。奉安殿の多くは、戦後に解体もしくは地中に埋められ、御真影も全て奉還された訳ではない。然し乍ら、解体を免れた奉安殿は現在でも全国各地に少数乍ら残っており、倉庫として使われていたり、荘厳な外観を生かして神社や納骨堂に転用されていたりする。また沖縄の旧美里尋常高等小学校の奉安殿は半壊乍ら「戦争遺跡」として文化財に登録されている。戦前に建築された古い校舎、講堂を持つ学校では、校舎内に設けられた「奉安庫」が残る所もある。
奉安殿は、校舎内に作られる事も、校舎外に独立して作られる事もあったが、何れも校長室、職員室、宿直室、その他に近い清浄な位置に設けられる事とされた。その内寸は最小で奥行85cm、高さ1.5
m、幅1.2mは必要であるとされた。構造は鉄筋コンクリート造り
壁厚さ25cm以上、片開または両開の完全な金庫式二重扉を設け、耐震耐火構造とし、内外防熱防湿の為に石綿材料を施し、内部はさらに桐、または檜板張りとし、御真影を奉安する棚の高さは50cm程の処に設ける事とされた。
(Wikipediaより)
最近思うのですが、逢うひとすれ違うひとと挨拶を交わすのは、山に居る時くらいなのかな?と。下界に戻ると挨拶もそうですが、ひとに逢わないようにしている場合も。
奉安殿と祖父の写真を見て、時代の流れと共に、ひとは今の流れで本当に良いのか!という事を感じ、こうして記している次第です。