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良書を迎えて。

先日、高岡市の文苑堂本店にて良書を手にして、こころが震えました。

 

『ようやく出会えた』!!

 

医師であり、宮司であられた著者は葉室頼昭氏。葉室姓と知った僕は、どういう方であるかをすぐに理解致しました。(礼)それはまたいずれお伝えしたいと思います。

 

帯にはこう書かれています。『日本人の美しい暮らし方』と。僕は拙ブログのカテゴリーのひとつに『日本人らしく』を設け、先人から受け継いだ日本人らしい生き方をもう一度取り戻したいと思い、自分自身に言い聞かせる意味で記していますが、正にそのすべての答えが此処にあるのです。

 

以下、良書の紹介です。

 

・春日大社前宮司 葉室頼昭著 春秋社刊

  神道のこころ

  神道と日本人

  神道感謝のこころ

  神道<徳>に目覚める

  神道こころを癒し自然に生きる

 

この5冊の中には、今必要なこと『真実』が、実にシンプルに書かれています。正に目から鱗であります。

 

良書を迎え日本人として襟を正し、世のためひとのために、あらためて働きたい!と、偉そうにも思った次第です。拝、


奉安殿のこと!

今回、またしても古くて珍しい写真を発見してしまいました。

 

奉安殿落成記念という事で僕の祖父のたった一枚の写真なのです。

 

それよりも奉安殿って何ですか?という声が聞こえてきそうなので、調べてみました。知りたいと思ったらすぐにでも調べるのが僕たちの方針なのです。最近!忘れっぽいので特に・・・。(笑)

 

奉安殿(ほうあんでん)とは、戦前の日本において、天皇と皇后の写真(御真影)と教育勅語を納めていた建物である。

 

御真影の下賜が始まった時期は、教育勅語が制定された後の1910年代であり、奉安殿の成立もその時期と推測される。(小学校の奉安殿建築は1935年頃に活発化)また学校への宿直も、この御真影の保護を目的として始められた面もある。

 

四大節祝賀式典の際には、職員生徒全員で御真影に対しての最敬礼を奉る事と教育勅語の奉読が求められた。また、登下校時や単に前を通過する際にも、職員生徒全てが服装を正してから最敬礼するように定められていた。

 

日本が第二次世界大戦で敗れた年の1945年(昭和20年)12月15日

GHQの神道指令の為、奉安殿は廃止された。奉安殿の多くは、戦後に解体もしくは地中に埋められ、御真影も全て奉還された訳ではない。然し乍ら、解体を免れた奉安殿は現在でも全国各地に少数乍ら残っており、倉庫として使われていたり、荘厳な外観を生かして神社や納骨堂に転用されていたりする。また沖縄の旧美里尋常高等小学校の奉安殿は半壊乍ら「戦争遺跡」として文化財に登録されている。戦前に建築された古い校舎、講堂を持つ学校では、校舎内に設けられた「奉安庫」が残る所もある。

 

奉安殿は、校舎内に作られる事も、校舎外に独立して作られる事もあったが、何れも校長室、職員室、宿直室、その他に近い清浄な位置に設けられる事とされた。その内寸は最小で奥行85cm、高さ1.5

m、幅1.2mは必要であるとされた。構造は鉄筋コンクリート造り

壁厚さ25cm以上、片開または両開の完全な金庫式二重扉を設け、耐震耐火構造とし、内外防熱防湿の為に石綿材料を施し、内部はさらに桐、または檜板張りとし、御真影を奉安する棚の高さは50cm程の処に設ける事とされた。

(Wikipediaより)

 

最近思うのですが、逢うひとすれ違うひとと挨拶を交わすのは、山に居る時くらいなのかな?と。下界に戻ると挨拶もそうですが、ひとに逢わないようにしている場合も。

 

奉安殿と祖父の写真を見て、時代の流れと共に、ひとは今の流れで本当に良いのか!という事を感じ、こうして記している次第です。


丁度よい!

6日のお休みに掃除をしていましたら、一枚の書が目に入りました。

僕たち夫婦の友人で以前の拙ブログ『笑う門には福来る!」で紹介したマー君直筆の書が大切に保管されたまま、年月を経過して先日、現れたのでした。^^

 

改めて見てみると!何とも言えない文言なので妻とふたりで読み上げてしまいました。マー君に「これ!誰の言葉なの」と妻が聞いたら御神酒を頂いてごきげんな彼は「了寛さん、荒了寛さん」と教えてくれたそうです。^^

 

丁度よい!よりも、凄くよい言葉でしたので以下、お伝えします。

(引用開始)

 

      丁度よい

君は君で丁度よい 顔も躯も名も性も そのまま君に丁度よい

君の連合お釣り合い 他の誰よりよく似合う ずっと君に丁度よい

親も先祖も子も孫も 嫁も舅も親類も みんな君に丁度よい

幸も不幸も貧も富も 運もふ運も巡るもの 自慢はするな卑下するな 他人を較べ羨むな 君の地位や財産は 君の器量に丁度よい

君の生きた人生は 誉めも出来ぬが悪くもない 君にすれば丁度よい 病を得たらその病 君の為に丁度よい 死ねば死んだでその時は 早くもなければ遅くもない 君にとって丁度よい あとは地獄か極楽か 着いた所が丁度よい 生まれ変ろがそのまゝ居よが

どちらも君に丁度よい 何が起ろとどうなろと 腹を立てるな落ち込むな 先まで思い煩うな 常の君が丁度よい 神も仏も天も地も

時の流れも光陰も 君が生きるに丁度よい 君が眠るに丁度よい

(引用終了)

 

荒 了寛(あら・りょうかん)

1928年 福島県生まれ

現在 天台宗ハワイ開教総長としてハワイ在住

 

実は以前から、了寛さんの絵や言葉が大好きで柴田接骨院の待合室

にさり気なくあるのです。然し、さり気なくのはずなのに存在感が大きいです。^^

 

本当に言葉は、日本人として綺麗に大切に使いたいなあ!と、妻とふたりで感じ入った次第です。拝、

 

 

 

 

 


美しさを持った王者!

昨晩は久しぶりに民放を見ました。妻が「ボクシング見る?大好きな長谷川穂積が闘うよ」と教えてくれました。

 

僕は、長谷川穂積さんが何故か大好きで、試合の度にその強さと、真の王者が持っている『格』に惚れ込みました。

 

然し乍ら今回の試合は、妻に聞くまで気づいていませんでした。今までだったらそんな事は皆無だったのに。大阪城ホールでの世界戦の初戦!相手はスーパーバンタム級の王者スペインのキコ・マルチネス(28)長谷川穂積さんは同13位です。

 

3階級制覇をかけての試合でしたが、残念乍ら7回TKОで敗れました。僕は、試合を見届けた後に正座をして拍手を送りました。彼のボクシングの美しさは比類なきものでした。

 

今までの試合を思い出しても、他のボクサーには無い美しさが僕の頭の中に映像として浮かび上がります。相手のダウンを見たあとにコーナーに戻り相手を待つスタイルが『正に王者の風格!チャンピオンとはこういうひとだ』と。

 

負けた相手を執拗にいたぶる行為は、日本人として恥ずべき行為であります。長谷川穂積さんは日本人として『凛』とした美しさを持った王者!真正のチャンプであったとこころから思います。

 

親に孝行し家族を守り抜く姿は、忘れかけていた日本人の魂を奮い立たせてくれた!と僕は強く感じます。

 

チャンプ長谷川穂積さん!

ありがとうございました。(礼)


美しく、まっすぐなひと。

美しい花桃の写真が、友人から送られてきました。お勤め先で頂いたそうでしっかりと根付いています。

 

花を鑑賞する目的で改良された桃で、結実はするものの、実は小粒で食用には向かないという。僕的には甚だ残念です。^^

 

上に真っ直ぐに伸び、きれいな花を纏う姿は日本人として惚れ惚れする思いがあります。STAP細胞の存在は

『知るひとぞ知る』事であり、撤回されようが『有るものは在る』

と言っているようです。

 

総理大臣が顕微鏡を覗いている姿をNOBELの山中氏が、後ろで見ている!という写真が世の中に出ています。無いものを覗いている訳は無いと僕たちは思っています。

 

STAP細胞が世の中に出てくると、難病で苦しむたくさんの方々に笑顔になって頂けたのに・・・・。

 

世に出ては困るかのような撤回劇!?

 

小保方さん!あなたはそのままで・・・。

凛とした花桃のように美しくまっすぐであれ。

わかっているひとはたくさんいます。拝、

 


日本人らしく。

最近、STAP細胞についてどう思いますか?と、よく聞かれます。僕は小保方さんは知っていますが、彼女は僕のことは全く知りません!と前置きをしてから、僕の考えをお伝えするようにしています。^^

 

STAP細胞の有無や嘘かまことか?を論ずる前に、そのひとの目を見てほしいと思います。嘘にまみれた話をするひとの目は、動揺がある為に視点が定まらずにウロウロと泳ぎますが、真実を語るひとの目は、自信に満ち溢れ!そのまなこは泳ぐことはありません。

 

素振りを見てほしいと思います。話す姿勢は同じく自身に満ち溢れ

輝き!落着きがありますが、嘘に固められたひとの姿勢は、落着きを失い!あれこれと物を触ったりするような行動をとります。

 

以前の日本人であれば、それだけで全てを理解し判断したと思います。彼女のまなこは泳がなかった。

その後の対応は知れたこと。

左上の言葉の如く・・・。

日本人らしく。


今!僕たちが大切に思う事。

今朝、北日本新聞を開くと教育勅語の原本を確認!という記事が載っていた。民主党政権時の文科相田中真紀子氏の指示で探していたもので、見事に見つかったという。

 

半世紀ぶりに再び存在を明らかにされたという事は、深い意味を持つような気がしてなりません!以下、転載致します。

 

(転載開始)

文部科学省は8日、太平洋戦争以前に国民道徳や教育の基本理念とされた「教育勅語」の原本を、約50年ぶりに確認したと発表した。

1923年の関東大震災で文部省(当時)庁舎が焼けた際に強い熱を受けて変色するなど損傷が激しく、天皇の御名御璽を含む後半部分が開けない状態になっている。貴重な史料として国立公文書館に移管し、修復を進める。文科省によると、原本は62年に都内の展示会で公開されて以来、所在不明になっていた。2012年秋ごろ、当時の田中真紀子文科相が捜すよう指示し、同省職員が東京国立博物館の書庫で発見。62年当時の原本の状態を記録した文書管理担当者のメモと照合するなど確認作業を重ねた結果、原本と判断した。

教育勅語の正式名は「教育ニ関スル勅語」で、明治天皇の名で1890年に発布。父母への孝行、夫婦の和、博愛などの道徳項目を記しており、昭和期の軍国主義教育と結び付いた。1948年に衆参両院が排除や失効を決議した。

(転載終了)

先ず!『教育勅語』とは何ぞや。

聞いた事はあるが詳しくは知らない・・・。

 

そんな方は、一方的な洗脳や思い込みの無い!良い状態にありますので、ご自分でしっかりと判断できるものと存じます。これは本当に素晴らしい事なのです。

 

拙ブログのカテゴリー『日本人らしく』2013.5.30にー教育勅語ーと題して現代文にて載せてありますので宜しければ一読ください。

 

今の世の中に再び現れた『教育勅語という宝物』。この大切な原本がお出ましになったという事は、今の日本に日本人に必要だからではないだろうか・・・・・。

 

 

 

 


愈々!2

今朝にトラクターが入ったと思ったら、もう水が入ってしまった!

 

もう田植えが近いという事であります。愈々から早くも!って感じでビックリです。

 

妻の実家で任されている田圃には麦が植えてあり、6月の刈り入れを予定しているので他の田圃に田植えをすると義父から聞いたので、今から楽しみにしています。

 

田植えの前には、八幡神社春の大祭が盛大に行われ、五穀豊穣と安寧が祈願され、一軒一軒獅子舞奉納があります。それも殊の外!僕のこころの楽しみです。

 

日本人として田植えは神事であり、すべてが神社の行事予定の如く知らず知らずのうちに進んでいくという不思議さと凄さを感じている次第です。拝、


愈々!

さあ愈々!平成26年度の作付けの準備作業のスタートです。我が家の田圃にトラクターが入りました。

 

去年は猛暑との戦いで、出来としては余り良くはなかったので、今年は良いお米がたくさん収穫出来るようにと願っています。

 

我が家の田圃は、地元の『農事組合法人ガイアとなみ』さんにお願いしています。 ありがとうございます。

 

妻の実家の田圃は、義父より「お前に任せる」と言われて以来、何とかご近所の皆さんに助けられ頑張れています。

 

トラクターの作業する音が耳に入ると『愈々!』と自然に思うようになりました。青空の下で作業を出来るという幸せは何とも言えないものです。

 

農業の厳しさも少しは体験しましたけれども、それも含めて満足できる楽しみを教えてくれたのは「任せた」と言ってくれた義父なのかもしれません。

 

顔を見て言うのは何か照れくさいのですが、ブログでは思うがまま伝える事が出来るという嬉しさがあります。

共に本当にありがとうございます。

 

 


3月31日に思うこと。

今日は3月31日です。明日から新年度であり、進学や入社というおめでたい事がたくさんあります。

 

今朝庭を歩いているとカリカリ漬けにする小梅の花がきれいに咲き誇っていたので思わずパチリ!

 

昨日のブログ写真を送ってくれた佐賀の友人の気持ちが良~く分かりました。この小梅!なかなか旨いのです。紫蘇の赤みが美しい梅干しとカリカリに漬けた梅干しの二種類が楽しめるのです。

 

『花を愛で、実を食す』日本人としての小さな喜びと少しの贅沢!

 

ものを買う贅沢とは違った贅沢を8%くらいは楽しんでみようかなと今日の良き日に思っている次第です。