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我が家の小さな菜園!

早朝5時!に収穫した我が家自慢の完全無農薬野菜です。だけど本当はそれが当たり前であって、農薬などは必要のないものと考えています。

 

農薬は、根、茎、葉、実へと吸収され、ひとのからだに滲み込んでいくのです。幼いこどもに僕は、食べさせたくはないと強く思っています。安心安全な食は、拘りを持って作っておられる方や自分で作るしかありません。TPPで、外国からどうやって作ったのかハッキリとしない!そして大量農薬散布もあるだろう安価な野菜が出回る!となると益々自分自身で、仲間を募って作るしか方法はありません。

 

土地があるなら野菜を作りませんか!なくともプランターで出来るのでやってみませんか!ドンドン『我が家の小さな菜園』が増えて

意見交換など楽しくできればいいな~。何て思っています。^^

 

今回収穫したのは、べーなす、みずなす、ピーマン、キュウリですが大変みずみずしく美味しかったです。朝食のメニューは、べーなすとピーマンの味噌炒め!に、みずなすの浅漬け!キュウリの塩漬けです。僕は朝から食べ過ぎてしまいました。^^

 

(合掌)ごちそうさまでした。


虫送りの紙垂。

我が家の田圃です!コシヒカリが植えられています。一本の竹に紙垂がつけられて、田圃に立っています。

 

6月に地元の誉建神社に於いて虫送り祭りが行われ、地元全戸に紙垂が配布されます。それをこの様に竹につけて田圃に立てるのです。一昔前までは、松明に火をつけて周囲を笛太鼓で賑やかに送ったとも聞いています。それが、農薬を使用するようになった事や、危険であるといったところから、この様に簡略化されてしまいました。

 

然し、6月には夜高祭りという、勇ましい行燈のぶつけ合いがあります。この辺の有名な夜高祭りとして、福野夜高祭りや津沢夜高祭り、砺波夜高祭りが行われ賑わいを見せます。(よいやさ~!)

 

7月の七夕祭りも虫送り祭りに関連して行われるもので、日本の大切な神道行事なのです。農作物の害となる虫(ウンカなど)を駆逐して、その年の豊年満作を祈願するという日本の伝統行事です。

 

日本人は何も知らない幼い頃から、神道行事であるお祭りを大切にそして厳かに行っているという民族です。僕自身、もう一度姿勢を正して過ごしたいと思った次第です。拝、

 

 


かっこいい!2

またまた凄い写真が送られてきました。

「はしご場」だそうです。こっ怖いっ!

これは、どこまで続いているんだろう?

 

たくさんの方々が登られると、重くて切れてしまうのではないか?上からひとが落ちてくるのではないか?などと思ってしまいます。(ひぇ~!?)

 

然し、最初にこのはしごをかけたひとはすっ凄いです。正に命がけのはしご掛けです。写真を送ってくれた友人も登ったであろうと思いますが、これまた「かっこよ過ぎ~っ!」と、大声でひと言。

 

山の写真を見ていると、修験道の修行の場の雰囲気一杯になりました。「何故、山に登るのか?」「そこに山があるからだ」という話は聞いた事がありますが、僕はこう思います。

 

山には、何か不思議な存在があり、その何か不思議な存在に逢いに行きたくなる。そんな感じがするのです。よく登山をされる方にお話を伺うと「これ以上、来てはならぬ」と、山に云われたことがある!と聞いたことが何度かあります。えっ!だっ誰に!?

 

 「厳しさの中にやさしさがある」ってことなのかなあ?

 

何故か不思議と日本人として「かっこいいなあ」とこころから思い至った次第です。拝、


天使の声!

日の午前中に、ひとりの女性が手に新聞を持って玄関に「サッ」という音と同時に富山新聞試読紙を置いていかれました。

 

試読紙ありがとうございます。^^1ページに時鐘というスペースがあり目がとまりました。正に僕が以前に『天使の声』とお伝えした、たましいの記事があったからです。以下、富山新聞1ページ時鐘より引用させて頂きます。

 

(引用転載開始)

 

緊急避難を呼びかける際の男女の声の違いや効果の研究が進んでいるとの報道があった▼先の震災での宮城県南三陸町職員、遠藤未希さんを思い出した人も多かっただろう。庁舎から「大津波が予想されますので、急いで高台へ避難してください」と叫び続け亡くなった24歳の女性である▼おかげで多くの人が助かった。未希さんの声はいま「天使の声」と呼ばれている。緊急時には命令口調の方が緊迫感があって効果的という調査もあるが、命に響くのは使命感からくる「必死さ」ではなかろうか▼震災から2年目の夏、気仙沼への旅行で仙台から路線バスに乗った日のことを思い出す。最後列に地元の若い男女が席をとった。人目もはばからず、いちゃつく。困ったもんだと思っていたら途中で静かになった。南三陸町の海が見えるバス停でおりていった▼この2人も震災を経験したに違いない。命がけの叫びは聞いたのだろうか。そう考えるとバスの中の振る舞いも命の輝きに思えたものだ。一つの犠牲からたくさんの研究が生まれている。「尊い犠牲」といえば安易だが、そう表現するしかないこともある。

 

(引用転載終了) 

 

昨年、このブログで発信したことが「縁」で、気仙沼線普及委員会の皆さんと、歌手で元大相撲幕内力士の大至さんと知り合いました。ラジオで流れたすばらしい声!「天使の声」に何故かこころが震え涙が溢れ出て止まらなかったのです。

 

何故!僕たち夫婦がこどもではなく大人の男性の声を「天使の声」とお伝えしたのか?それは、たくさんのこころのさけびが僕たちのこころに響き共鳴するからなのです!最初の詩が正にそうでした。

 

気仙沼線 作詞/ 引地達也 作曲/中村つよし  歌 大至

 

   三月の寒い日でした 娘は仕事を全うし 

              命と引き換えに 声を残した

  志津川ののどかな街並み すべて流された後の

        小さな灯は明日への道標

  希望に続く あの鉄橋 線路は今も がれきの中

      あの日 波がやってきた つんざくこだまに

    光が散った それでも続く いのちは続く  

 

上記一題目を歌うだけで、彼女が放送していた庁舎とあの声が頭に浮かび、そして聞こえてきます。焼き付いていると言っても過言ではなく、これは決して僕だけではないと強く思うのです。 

 

彼女は最後の最後まで、放送し続けました。その声を聞いて高台に避難されたひとは大多数であったと聞いています。正に『こころのさけび』それが、大至さんの歌と演奏すべてから溢れ出てくるのです。本当の『天使の声』がここから聞こえてくるのです。

 

僕はこの大至さんが歌う気仙沼線を聞くと、いまだに胸が熱くなり恥ずかしいけれど、共に歌うと涙で最後まで歌えません。^^

 

 今も!そして、これからも『天使の声』が湧き上がってくるように思えてなりません。「縁」とは本当に不思議なものでジワリジワリと広がって、手と手が繋がっていくのです。

 

そして、天使の声は太陽のように光り!輝いています。 拝、

 

         

 

 

 


リセットボタンだよね。

梅雨なのに富山県西部は、晴天が続いていて世界遺産五箇山の合掌造りへと、友人を誘って行った時が梅雨らしい日だったな~。と、10日前をなつかしく思っています。

 

カサをさして歩いた五箇山の里は、何故か印象深く脳裏に焼き付いています。「結い」というひととひととの繋がりが、合掌造りの大切さと、ひとの為に!という日本人として当り前のこころを呼び戻してくれている気がしてなりません。

 

先日紹介させて頂いた素敵なブログ(誘惑マダン)リセットボタンの記事を読んで僕も、最近は雨の日も悪くないなあと思えるようになりました。本当に!たまの雨はリセットボタンなのかもしれませんね。^^/”


夏越の大祓と相撲。

恒例の神道行事『夏越の大祓』が厳かに行われました。日本国中の神社で今も続く伝統行事です。

 

茅の輪を立て、その輪をくぐり抜け半年間のけがれを祓い、正常な状態(清浄な元の状態)に戻すこと!一般的に無病息災を祈願することを指しています。茅の輪には、蘇民将来伝説が由来するものとお聞きしたことがあります。

 

以前にも相撲は、単なるスポーツではなく神道行事であると申し上げましたが、今回!夏越の大祓にてご説明させて頂ければ「なるほど」と言って頂けるのではないかと勝手に思いました。^^

 

立てた茅の輪を横にしますと、そのまま神聖な土俵になります。宮司さんは、そのまま行事となります。屋根には鰹木が乗った御正殿であり、注連縄はそのまま横綱の綱となるのです。

 

知らず知らずのうちに、わんぱく相撲や奉納相撲をはじめ、大相撲を見ているのは、もしかしたら!?けがれを祓い無病息災となって五穀豊穣をもたらす為の『大祓』なのではないでしょうか。


日本人らしく!

ワールドカップの日本の初戦は惜しくも敗れてしまいましたが、サポーターの皆さんの日本人らしい行ないが、混乱に向かおうとしている世界を温かいこころで『ホッ』とさせています。(感謝)

 

敗戦であっても、選手に大きな声援と拍手を送り健闘を称えます。そのあとの行動がネットで流れ広がっていったのです。日本人サポーターの皆さんが、ゴミを集め清掃をする姿を。

 

僕自身も忘れかけていた「大切なもの」をハッと思い出させてくれました。本当にありがとうございます。

 

世界中にこころの平安をもたらした日本人の行ないによって、紛争の火種を消し去る事も出来るのではないかと思います。

 

今回の何気ない!すばらしい行ないが、民族の違いがあっても共有出来るという勝ち点をもたらしてくれました。

本当にありがとうございます。

 

「日本人らしくあれ!」と大声で自分自身に叫びたい。

笑顔でそんな気分になったのでした。 


「はい」という言葉。

何気なく使っている言葉の本当の意味を、よくわからずに思い込みで使っているのではないかと、最近になって思うようになりました。

 

やっと出会えた『良書』から僕たち夫婦の思い込みや、社会的マインドコントロールが一枚一枚と、確実に剥がれいくのを感じています。

医学の事から、日本の国や日本人のあるべき姿の事など、さまざまな真実が非常に明快に書かれています。

 

春日大社元宮司であり、医学博士であられた葉室頼昭氏が遺された今を生きる日本人へのメッセージ!(ひとりでも多く伝えたい)

神道<徳>に目覚める(春秋社)より一部引用します。

 

(一部引用転載開始)

よく言うのですが、たとえば「はい」ということばがある。これをふつう人々は単なる返事だと思っています。英語のイエスが、そのまま日本語の「はい」だと思っている人がいますが、それはまったくの間違いです。「は」というのは、よみがえる、生まれるという意味です。

 

「い」というのは、いのちということばです。ですから「はい」というのは、いのちがよみがえってくるという意味の、すばらしいことばです。これが本当の日本語なんですね。

 

だから、いつも言うように、奥さんはご主人の言うことに「はい」と言いなさいと。私はいま「はい」の運動をやっているんですが、

何も返事をしろという意味ではありません。奥さんがご主人の言うことに「はい」と言うことによって、子供のいのちがよみがえってくる。そういうことばなんですね。

 

ところが、戦後の間違った男女平等とか、そういう考え方で、なぜ母親だけが「はい」と言わなければならないのか。そういう理屈を言い出したために、子供にいのちが伝わっていかなくなってしまった。しかし、「はい」というのは返事ではなくて、母親が「はい」と言うことによって、子供のいのちがよみがえるすばらしい言葉なんです。

 

ーーご主人に、「はい」なんて返事をすると悔しいから言わない。という話を聞いたことがあります。(笑)

 

それは今言いましたように、言葉を理屈で考えるから、主人の言うことに「はい」と返事したら、妻が夫より劣っていて、常に夫の言うことに従わなければならないという考えが起きてきたからです。

 

「はい」という言葉は、そんな理屈で説明できる言葉ではありません。

(一部引用転載終了)

 

「はい」という言葉がこんなにも素晴らしく、そして大切な意味が込められた言葉だなんて思いもしませんでした。只々、驚きです。

「はい」という言葉をもう一度こころの辞書に刻み、使わせて頂きます!という、何故か感謝の思いでいます。(礼)


日本人としての誇り。

大相撲五月場所千秋楽の白鵬を祝う表彰式は、国歌斉唱(君が代斉唱)が、全員起立にて行われました。

 

我が家のテレビ桟敷でも、正座をし姿勢を正して、共に行ないました。

 

早朝のNHK「日の丸と君が代」が流れても何故か姿勢を正しています。小さい頃から今も変わらずに。

 

オリンピックや世界大会などで、日本人が活躍し頂点に立った時の

「君が代」は、立てなかった選手も国民も同じ気持ち(胸のふるえる思い)で、日の丸を見つめ「君が代」を涙ながらに歌います。

 

我が家に迎えた葉室頼昭氏の良書の中に、僕が思っているまま!そのままが書かれていましたので一部引用致します。

 

(一部引用転載開始)

      ーいのちのないものは滅びるー

あるとき、日本の学生がアメリカの学生を招待して交歓会を行い、音楽を演奏して歓迎したそうです。その中で、日本の学生がアメリカの国歌を演奏し始めたそのとき、会場のアメリカ人がいっせいに立ち上がり、直立不動で聞いたというのです。日本人の学生はそれを見てびっくりしました。

 

日本人は「君が代」が聞こえても誰も席を立ちません。この差なのです。この母国に対する誇り。アメリカ人は、国歌というものは誇りをもって直立不動で聞くべきものだと思っているから、いっせいに立ち上がるのです。

 

日本人だけです。国歌が流れてきても平気な顔をしているのは。

 

伝統を受け継いで、それを子供に伝えようとするのが命です。これが今の日本人にはありません。伝統や誇りというものを受け継いでいないのです。ですから命がありません。命がないものは滅びるというのが大自然の鉄則です。

(一部引用転載終了)

 

僕は思うのです。自分たちの住んでいる日本というすばらしい国に凛とした日本人としての誇りを持とうと!一昔前の日本人に戻るべきではないのかと!

 

この国と日本人には、やらなければならない事がまだまだたくさんあるのです。滅んでしまっては決してなりません。

 

自分自身と愛する家族に、もう一度言い聞かせる思いで記した次第です。拝、

 

 


原点に帰ろう!

先日、友人から田植えを終えたあとの水面に映る神社の美しい姿が送られてきましたので、日頃の感謝の意味を込めて載せました。ありがとうございます。(礼)

 

日本人にとってなくてはならないお米は稲

(いね)にたわわに実ります。春日大社前

宮司の葉室頼昭氏は(いね)とは、命の根

のちの、であると。これは正にすべて僕のこころに心地よく入ってきました。ありがとうございます。

 

前ブログで紹介した良書の1冊の『はしがき』に僕たちが今!大切に考えているその通りのことがありました。胸の高まる思いです!

神道<徳>に目覚める。の『はしがき』より引用致します。

 

(引用転載開始)

現代の日本の姿を見ていますと、企業では汚職、倒産などが毎日のように見られ、また理由なき凶悪な犯罪が、毎日のように日本のどこかで起こっています。また、若者の横暴は、目にあまるものがあり、他人の迷惑など少しも考えず、自分勝手な行動をしています。

 

これは、日本の国始まって以来の乱れた姿ではないでしょうか。どうしてここまで、日本の国は堕ちてしまったのでしょうか。これはもちろん、戦争に敗れ、日本の過去の歴史や伝統を否定し、日本の過去はすべて悪いものである。日本人は劣った民族であるという考えにマインドコントロールされて、なにごともアメリカ一辺倒で物質万能、知識だけの教育を行い、政治は経済発展など目先のことだけに明け暮れ、学校教育はただ知識だけを与え、いい学校に入り、

いい会社に就職することのみを、われわれが行なってきた結果でありましょう。

 

日本の祖先たちが伝えてきた、日本の国をよい国にする、また、よい人間を育てるということを全く忘れはてて、半世紀も過ぎてしまった結果、当然なるべくしてなった日本の姿なのです。

 

、中国や朝鮮から文明が輸入され、その当時の若い人々がそれに没頭して日本本来の姿を忘れたため、原点に戻らなければいけないと『古事記』が記されました。また、江戸時代、武士たちは儒教の思想にあまりにも深く感化され、これまた日本本来のこころを忘れてしまったので、日本人の原点に戻らねばならないと、国学者・本居宣長が『古事記伝』を書きました。

 

このように過去にも、たびたび日本人の原点に帰ろうとした歴史があります。しかし、現代の外国一辺倒の姿は、そうした昔とは比較にならないほどの乱れ方です。このままでは、日本の国ばかりか、

日本人の滅亡にさえつながりかねない、きわめて重大な事態だと思います。

 

それゆえ、今こそ祖先の行なってきた「徳」に目覚め、立派な人間を育てる教育に目覚めなければなりません。目先の我欲を捨てて、

日本の国の幸せ、そして自分以外の幸せ、すなわち神さまや祖先、そして周りの人々の幸せのために生きる人生に、本当に目覚めなければならないと思います。本書が少しでもそのために、お役に立つならば幸いです。

(引用転載終了)

 

今のこのような世の中で良いはずはない!と、僕たちは考えています。一昔の日本の姿を戻し、そのなかで生活してみたい!と、何故か不思議と思い続けています。拝、