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5人救った君を忘れない!

昨日!北日本新聞を見た妻が、感極まり声にならない声で「見て$#」と、きれいに折りたたんでその記事を見せてくれました。

 

5人救った君 忘れない 福島県の高2男子 津波で犠牲 紙芝居に とあります。読み進めると同時に涙が溢れて止まりません!以下、紹介したいと思います。2015年(平成27年)6月1日月曜日北日本新聞 (国内)(4)より引用致します。

 

(引用転載開始)

 

 東日本大震災の当日、福島県いわき市の高校2年工藤盛人君=当時(17)=は、介護が必要なお年寄りら5人の避難を手伝った後、津波にのまれ亡くなった。その勇敢な行動を語り継ごうと紙芝居が作られ、31日、両親の前で初披露された。両親は「息子を誇りに思います」と胸を熱くした。

 

 あの日、工藤君は海に近い自宅にいた。激しい揺れ。大津波警報を知らせるサイレン。家の前では、訪問ケアの高齢者を担架で運びながら介護福祉士たちが避難路を探し右往左往していた。「手伝います」工藤君は担架運びに加わり、一行を高台のホテルへ誘導。「足が悪いじいちゃんとばあちゃんが心配なんで」と、近くに住む自分の祖父母を捜しに海の方へ戻った。後日、工藤君と祖父母は遺体で見つかった。

 

 父功さん(55)と母弥生さん(51)は半月後、福祉士たちがお礼を言いに訪ねてきて、初めて経緯を知った。「そうですか。人助けをしていたんですね。教えてくれてありがとう。どうか盛人のこと忘れないでください」悲嘆に暮れる中での救いだった。近所の女子高校生に「逃げろ」と声を掛け、手を引いて先導していたことも半年後になって分かった。津波が来るまでの45分間、お年寄りと3人の介護スタッフを合わせ、彼は五つの命を助けたのだ。

 

 紙芝居で震災を語り継ぐ活動をしている福島県伊達市の菅野米生さん(69)、幸枝さん(65)夫妻が、いわき市内の両親宅を訪れ上演した。親戚や高校の先生たちも集まり、涙ながらに見入った後、それぞれが知る工藤君を語り合った。

 

(引用転載終了)

 

僕も妻と同様に、読んだあと工藤盛人君の行動を日本人として誇りに思います。「世のため ひとのために」と教わってきました。が、自分のことばかりになってはいないか!?17歳の盛人君に改めて教えられた気がしています。

 

工藤盛人君!僕たちも君を忘れないよ。

「日本人らしく」ありがとう。(礼)

 


日本神話!

天岩戸神社の神々しいお写真です!

宮崎県高千穂に御鎮座になられます天岩戸神社は『古事記』に記載されている神話において、天照大神がお隠れになられた天岩戸をご神体に持つ神社です。

 

社殿は、岩戸川を挟み東西本宮に分かれておられ、東西両宮で天照大神を主祭神とされています。西本宮からは、天岩戸を拝観する事が出来ます。「天岩戸神話」とは、須佐之男命の乱暴にお怒りになられた天照大神が天岩戸にお隠れになり、世界が真っ暗になったといわれています。

 

その後、八百万の神々が天安河原に集まって相談され、天照大神を誘い出すことに成功します。天岩戸神社の近くには、天安河原もあり、河原の一角にある「仰慕窟」と呼ばれる大洞窟のなかに天安河原宮が御鎮座になっています。その周辺には、参拝に訪れた人たちが積み上げていった石が数多くあり、正に神秘的な雰囲気をつくり出しています。


木舟城!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高岡市福岡町にある木舟城跡に行ってきました。戦国時代!石黒氏のお城でしたが、前田氏の入城後に大地震にて崩壊し廃城となったものです。城下の人々の末裔は現在!高岡市木舟町に今もお暮しになっています。

 

現在の木舟城跡は、そんなに大きくはなく幾つかの塚のような感じが見てとれます。然し!戦国時代の攻防の「侍魂」というのか、立ってみると!目力というのか眉間に力が自然と入ってきます。

 

侍たちが木舟城を今でも!守っているのかもしれません!

 

僕の住む砺波市狐島にある憶念寺の言い伝えに、石黒氏の首を取ったという首塚があり、僕が子供の頃!その石の上によく座っていたものでした。僕は!歴史というものは勝者の都合のいいように改ざんされたものであり、本当の歴史は口伝にて残り、伝えられるものと信じています。

 


国旗掲揚!

今日から、柴田接骨院も連休に入りました。昨年までは田圃の仕事で、手一杯でしたが、今年はガラリと!一変したので、少し余裕の連休となりました。^^

 

憲法記念日の今日からは、国旗を掲揚し、6日まで連日の掲揚となります。国民としてしっかりとしたい儀礼であると思っています。どこの国を見渡しても国のシンボルは、国と国民の中心にあります。

 

国歌が流れると終わるまで、足を止め敬意を表する国があります。この日本は、残念なるかな全体を見てもそうではありません。国技大相撲とオリンピックの表彰式の時以外は、何が大切なのかを気がついていないのかもしれません。

 

今回の連休の国旗掲揚をもう一度!家族で考える良き機会なのかもしれません。僕は何故か!そう思います。

柴田佳一 拝、

 

 


大丈夫!子供の食事。

きのうのNHKあさイチで非常に良い事を取り上げていました。東京の三谷小学校の和食による食育です!

 

NHKあさイチのタイトルは「大丈夫?子どもの食卓」でしたが、拙ブログでは『大丈夫!子供の食事』としました。今からでも始める事によって健康な体作り!ひとづくりが出来るのですから・・・。さて、三谷小学校(さんや)では、給食に和食を取り入れ!その良さとおいしさに気づいた子がいます。朝食に菓子パンを食べていた男の子が、お父さんにお願いして和食の朝食を作ってもらい食べているのです。^^

 

これは校長先生のご慧眼だと思います。すばらしい教育者のもとにすばらしい人材が生まれます。和食以外の食事を否定しているのではなく!日本人本来の食事が、我々日本人のからだづくりにあっているのだと考えます。

 

食事の乱れというか!?からだに摂り入れる食物が合っていない場合には、物事に集中出来ない!キレる!といった症状が現れることもあると言われています。

 

食品添加物などにも気を配る必要があります。菓子パンや清涼飲料水は、和食と比較すると、食事として明らかな違いがあります。以前からもお伝えしている通り、和食!日本食が海外でブームになっています!然し乍ら、この日本では和食を積極的に食べていない現実がありからだづくり!ひとづくり!にもうひとつ不足を感じるのです。

 

こころの込められたお料理を前に!感謝して手を合わせ「いただきます」「ごちそうさまでした」これが今!日本人にとって、とても大切なことである!と、僕たちは考えています。

 

今!これを変えれば、きっとすべてが良き方向に流れます。

僕たちはそう信じています。拝、


散華(さんげ)

長野善光寺さま御開帳に行ってこられた患者さんに散華を頂きました。

八味唐辛子と共に!「ありがとうございます」^^

 

たくさんの参拝客で賑わう為になかなか前に進めなかったのではないかと推察致しましたが「良かったです~」と仰っておられたので僕まで嬉しくなりました。^^上の写真が頂いた「善光寺の散華」です。散華とは知ってはいても、一体どういう謂れがあるのかは即答できなかったので、改めて調べてみました。

 

          散華(さんげ)

 

仏や菩薩が来迎した際に讃嘆する為に大衆や天部の神により、華を降らせたという故事に因んで行われる。釈迦仏の前世である儒童梵士(じゅどうぼんし)が、燃燈仏に華を散らして供養した話などはその代表的な例である。

 

寺院で法要を厳修する時に、仏を供養する為花や葉を撒き散らす。

法要に散華を行なうのは、華の芳香によって悪い鬼神などを退却させ道場を清めて仏を迎える為とされる。元来、蓮などの生花が使われていたが、現在では蓮の形を模った色紙で代用することが多い。

その形から分かるように蓮華を模っている。これは釈迦と深い繋がりがあり、葬儀など仏を供養する場で撒かれる事がある。この色紙を「花葩」(けは)という。

 

                     (Wikipediaより)

 

何とも奥深いものなのですね!2枚の散華が当院に舞い降りたので清められた感じに包まれています。清々しい風が動いています!!

すばらしい宝物をありがとうございます。拝、


いざらい!

昨日は、毎年恒例のいざらいに行ってきました。曇り空の中ではありましたが、河川の石や砂利などを取り除いていきます。担当した4人の連携プレーで、かなり溜まったものもスムーズに片付けていきます。

 

ひとによっては「いざらい」「えざらい」と呼ばれ!一体何のことやらサッパリ分かりません。ズバリ言えば!「田植えの前に行なう一斉川掃除」といったところでしょうか!?

 

また!こんな話もあります。こちらでは、子供が産まれると夏に海へ行き、海水につけます!子供が風邪をひかなくなるとされていますが、何故かもわからずに海に行くひともおられます。これは、禊(みそぎ)をしているのだ!と。稲作も神道行事であり、作付け前に河川に入り禊を行なうのだ!と。それぞれが知らず知らずの内に行なっているのだ!という。

 

何とも奥の深い話です。

 

でも確かに日本人は、日を決めて様々な行事を行なっています。

日本人には、誰も知らないもっと奥の深い話がありそうです!

僕はそう思います。

 

いざらいに参加されたみなさん!

ご苦労様でした。^^


こころがひとつになる日

今日!3月11日になりました。あれから4年が経過したのです!あの日!誰もが信じられない光景を目にしました。

 

目にしただけでも恐怖感が迫るわけなのですが!いざ、その場におられた方々に迫りくる現実は、言葉では言い表せないものであっただろうと思います。当日!宮城県南三陸町の防災対策庁舎から防災無線で町民のみなさんに避難を呼びかけ続けた町職員遠藤未希さん(当時24歳)の「天使の声」は、今も僕の耳に残っています。

 

「大津波警報が発令されました!高台に避難してください!」

「6mの津波が予想されます!異常な波の引き方です!」

「逃げてください」

 

最後まで呼びかけ続けた遠藤未希さんの「天使の声」で、救われた命は多かったのですが、彼女の命は津波によって奪われました。以前にもブログで紹介しましたが「気仙沼線」というこころに響く曲の初めに彼女の生きた証があります。よろしければ「気仙沼線」を是非!お聞きになってください。

 

東北から関東までの被災は広範囲に及び、今も復興途中の地域もあり、まだまだこれからです。忘れてはならない!風化させてはならない!4年が経った今も強く!そう思います。

 

『3月11日は、日本人のこころがひとつになる日!』僕は、そう思います!合掌。

 

 


誉建神社春の大祭

3月10日は、誉建神社春の大祭でしたので行ってきました。午後2時から太鼓や笛が響き!その太鼓の響きは、胸の鼓動にも響き渡るくらいでストーブの火も揺れ動きます!

 

3月10日は、東京大空襲の日であるとお聞きしました!そして明日は、東北大震災の11日です!たくさんの命が失われました。何も起こらぬように皆で祈念致して参りました。みなさん!ありがとうございます。(一礼)


のぞみ5歳

NHK中部アーカイブスで29年前に放送された「のぞみ5歳」です。2月半ばに再放送されていて、大変懐かしく見ていました。

 

29年前に僕も見ていたのを思い出したのです!次に何が起こるのか!?どうなるのか!?何が語られるのか!?が、すべて頭の中に甦ってくるのです。盲目のご両親から生まれ、とてつもなく深い愛情を受けて育っていくのぞみちゃんとご両親の姿を見てわかってはいても、夫婦共々!大泣きしてしまいました。^^

 

のぞみちゃんが、遊びに来ていたお友達にしたことに対して、いつも優しいお父さんがご立腹!のぞみちゃんはきつく叱られてしまいました。「ごめんなさい言いなさい!」とお父さんに言われ「ごめんなさい」と言ったのぞみちゃんでしたが、納得できるはずもなく悔し泣きでお父さんに八つ当たり!お父さんの腕を叩いてしまいました。^^

 

いつも優しいお父さんが、初めて恐いと思った瞬間でした!子供の頃を振り返ってみると、『父に叱られたら母に助けを求める』その逆もありますけれど、のぞみちゃんはお母さんに助けを求め、傍に行くのですが、お母さんは素っ気なく外出してしまいます。

 

「お母さんごめんなさい言った」何度も何度も繰り返しながらお母さんの後を!靴を履くのも忘れて靴下のまま追いかけます。追いついたのぞみちゃんは、お母さんの左人差し指を握って抱かれています。

 

「のんちゃんはお父さんのことが許せないんだったら、一緒に暮らせないんだったら、どこか好きなひとの所で暮らしなさい!お母さんは、お父さんのことが大好きで離れられないの」・・・。

 

僕は、自分自身に置き換えて一考すると「お父さんにもう一度あやまりなさい」と、只それだけを言うと思います。然し!のぞみちゃんのお母さんは、先の言葉を投げかけられました。

 

『自律と我が家族』のあり方を5歳ののぞみちゃんに伝えておられるのです。僕は、29年前に聞いた言葉がず~っと耳に!記憶にあったのです。当時!僕は独身でしたが「すばらしい夫婦、親子関係だなあ」と印象深く残っていたのです。

 

「親の背中を見て子は育つ」29年後の現在!ご両親は60代になられ、僕たち夫婦を泣かせてくれたのぞみちゃんは33歳!二人の娘さんをもつお母さんになっていました。29年前の放送後に生まれた妹さんも入籍されたということで、3人家族が29年後に8人になられていました!おめでとうございます。^^

 

泣きながらそして良い笑顔をみせてくれた「のぞみ5歳」は、今の時代に、ひととして大切な何か大きなものを投げかけているような気がしています。「夫婦とは」「親子とは」「ひととは」僕は、あらためて感じるものがありました。

 

すばらしい!愛情いっぱいの子育て!というよりもひとを育てるということを、僕は番組を通して感じ取りました。

 

のぞみさんをはじめ、ご家族の皆さん!末永くお幸せに。

ありがとうございました。

 

追伸:素敵です。^^