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終い天神!

昨日は12月25日!終い天神でしたので、厳かに座敷床の間に菅原道真公をお飾りしました。この天神様は!僕の祖父、城寳清太郎(清芳)の作であり、僕の為に画いてくれた宝物なのです。54年経って今尚!祖父の思いというか、僕への愛情を感じ胸が熱く(この場合!痛く)なります。気品ある顔立ちと威風堂々としたお姿の前に正座をしますと背筋が一段と伸びる気が致します。「いつも見守ってくださり本当にありがとうございます」(礼)

 

新年1月25日の天神講までしっかりとお祀りして、姿勢を正していきたいと改めて思う次第です。


何とか!

天皇誕生日にようやく雪吊り作業をしました。2カ月ほど遅れていましたが降雪前でよかったです。^^

 

やはり!雪吊りはこの季節にはなくてはならないものであり!趣があり白い世界に日本人的な風情を感じさせてくれるひとつではないかと思います。北陸では、加賀の兼六園や大名屋敷の雪吊り作業は10月1日から行なわれ、それに合わせて各施設や各家屋の作業が行われるのです。

 

午後4時に終了!1時間ほど雨に降られましたが、何とか!作業を終えました。25日あたりに降雪予報が出ているので自己満足に浸っているところです。「来年は、兼六園と大名屋敷に合わせて行おう」と思う次第です。(汗)


討ち入り蕎麦

元禄15年(1702)12月14日深夜!大石内蔵助はじめ47名の赤穂浪士が江戸本所松坂町の吉良上野介屋敷に討ち入り!見事にご主君浅野内匠頭の無念を果たしました。討ち入る前に皆で蕎麦を食した事になってはいますが、本当のところは諸説あり、時間を持て余した数人で蕎麦をすすったものらしいです。僕は子供の頃から『赤穂浪士・忠臣蔵』は、何故か嵌りに嵌っていました。尊敬してやまない「田中角栄」先生も、殊のほかお好きであったことも僕を後押ししたのかもしれません。^^

 

そんな訳で昨日!恒例の討ち入り蕎麦を頂きました。ご覧の通り!カップ麺の天ぷら蕎麦だったのですが美味しく頂きました。

 

日本中で一体何人の方が『討ち入り蕎麦』を食されただろう・・。

などと、つらつら考えながら箸を置きました。

「ごちそうさまでした」^^

 


日本人らしい事!

クロスランドおやべの中庭を七と散歩していると僕とそっくりなお腹の金色のおじさんがいるではありませんか!?

 

写真には写っていませんけれども、僕とそっくりな金色のおじさんの足元にはお金が置かれているのです。神様や仏様!神々しい像や自然に手を合わせたくなるものに対して前に立ち!手を合わせ頭をさげてお金を置いてくるのです。

 

来日した外国人の方々が『不思議な光景』だと思うのだそうで、且つ『お金が無くなることがない不思議』に日本人のすばらしさを感じるのだという!ありがたいことだと僕は思います。

 

魚津市に埋没林が展示されているのですが、その水槽にもたくさんのお金が投げ入れられています。外国の方は不思議な光景だと思われますが、我々日本人には「そうしなければならない」というのではなく「自然とそのようにしてしまう」のです。

 

何故なんだろう!?それが日本人らしい事!なのかもしれません。


誉建神社新嘗祭

本日!12月1日は、誉建神社新嘗祭が執り行われました。午後2時からでしたので参拝してきました。

 

河合宮司さま始め、斎藤さま!あとは三役、宮委員の皆さんと有志一同が、拝殿にて修祓式を受け祝詞!そして新嘗祭のあと直会となりました。僕は残念ながら午後の診療がありましたので、先に席を立ってきました。ご縁があるときにはお願いします。^^

 

今年は収穫も良く!本当に氏神さまには感謝であります。ひとの努力もありますけれども、やはり!感謝の気持ちを強くした思いでした。

 

いつも本当にありがとうございます。(礼)


やっぱり青い空!

 

 

 最近は、西高東低の冬型の気圧配置から寒くて、どんよりとした空ばかりでしたが!昨日と今日は、青い空が見えて何故か不思議と嬉しい気持ちになりました。明日は氏神さまの新嘗祭なので!そのままの気持ちで参拝させて頂こうと思っています。

 

「本当にいつもありがとうございます」(礼)


よしみ会 舞踊発表会

先日!柴田接骨院に素敵なプログラムが届きました。よしみ会舞踊発表会のものです。(左の写真です)

薄いピンク色にやさしさと美しさを感じます。^^

 

早速!プログラムを静かに開いてみると・・・。37の演目が目に入ってきます!何と!4時間近くの舞踊大発表会です。砺波には子供歌舞伎という伝統芸能もあります。この新舞踊!民踊(みんよう)もすばらしい芸能であると僕は思います。よろしければ是非!当日は砺波市文化会館にお越しください。入場無料だそうです!『これには僕もビックリポンです』^^

 

(以下、プログラムより)

 

 

     よしみ会

 

       舞踊発表会  会主 中村 好

 

    日時 平成二十七年十一月二十九日(日)

 

           十二時三十分開演

 

    場所 砺波市文化会館大ホール

 

お会いできれば嬉しいです。

柴田佳一 拝、


10月28日前原一誠!挙兵す。

『花燃ゆ』で佐藤隆太が演じているのが、前原一誠(左の写真)です。

『花燃ゆ』のなかでは「萩の乱」のことは詳しくは放送されませんでした。(僕的にはチョット残念)

 

新政府の方針に不満を持つ前原一誠は、明治9年10月24日(1876)熊本での決起を知ると旧藩校の明倫館を拠点に同志を結集!27日に決起します。決起内容は、「上京して天皇に直訴奉り、君側の奸を排除せしめる」事にありました。奇しくも10月27日は吉田松陰先生のご命日!前原一誠の塾生としての誇りでありましょう。(拝)

 

そして10月28日の今日!『殉国軍』として挙兵「萩の乱」を起こしました。然し、新政府は既に挙兵を察知しており、萩にて市街戦となりました。地元戦であり初めは良かったのですが、広島鎮台と軍艦孟春の攻撃に11月6日『殉国軍』は鎮圧されました。

 

直訴奉る為に出港した前原は、悪天候により出雲に停泊中の11月5日島根県令によって逮捕されます。萩に連行された前原一誠は首謀者として12月3日斬首となります。享年43歳

 

下級武士でありましたが、揺るぎない志(こころざし)を持って!武士として凛と生きた前原一誠を僕は「すばらしく生きたひと」と思います。果して僕には出来るだろうか・・・?

 

時代も経過した大正5年4月11日明治維新前後の勲功により、日本政府は特旨をもって、前原一誠に従四位を贈りました。

 

僕は、前原一誠が起こした『萩の乱』に「西郷隆盛」が、いち早く駆けつけ!行動を共にしていれば状況は大きく変わっていたのではないかと思います。

 

当時は!本当に若いひと達が日本の為に!この国の為に!行動を起こしたのです。ダメであれば前例があるかないかではなく!「良くしようと思い行動する事が大切である」と僕は思います。

 

 


木舟城まつり!

 

 昨日は「木舟城まつり」に行ってきました。高岡市と福岡町の合併10周年を記念して行われたもので、総勢34人の武者が600mを松明を手に練り歩き、何とも言えない雰囲気を創り出していました。

 

木舟城は1184(元暦元)年、地方豪族の石黒太郎光弘が築城。戦国時代に織田信長に謀られ、前田家の城となり、利家の弟秀継が入り

1585(天正13)年の大地震により崩壊し、3日後に秀継らは圧死が確認された。

 

正に戦国時代!ですね。何故?織田信長ほどの武将が謀略までして石黒氏を討たなければならなかったのか!?世の中では目立ってはいないのですが、深い思惑が見え隠れして、ドラマ化してもかなり凄いものになるのではないでしょうか。

 

とにかく!雨に降られ肌寒い日だったのですが、たくさんの方々が木舟に集結!高岡市木舟町の方々も福岡町が高岡市になって10年!本当に喜ばしい『木舟城まつり』だったのではないかと思います。

 

おめでとうございます。

柴田佳一 拝、


本日!木舟城まつりです。

 

 

 本日!10月11日(日)は、木舟城まつりが開催されます。場所は!

高岡市福岡町木舟にあります木舟城趾公園で、午後15:00から。

17:30~18:00まで、鐘泉寺から木舟城趾(約600m)を松明を持った武者が行進されます。

 

是非!木舟城まつりに行きませんか!戦国時代にタイムスリップ!

お会いできれば幸いです。^^