今日は一斉草刈りでした。その後は高瀬神社へ参拝してきました。いつもお世話になりありがとうございます。
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昨日は、地元の誉建神社の掃除が行われました。参道を掃き清め、気も引き締めます。雨が降っていましたが、あとは写真のように青空が広がり、気持ち良い日となりました。
「さあ高瀬神社へ行こう」とばかりに意見が一致!家族で越中一宮高瀬神社に向かいました。左の写真は高瀬神社の大鳥居です。愛車シーマを減速、低頭して大鳥居を潜ります。近づくごとに空気が変化して参ります。不思議な事です!
拝殿にて参拝し、今月の言葉を頂いて参りました。いつもお世話になりありがとうございます。以下、引用転載致します。
(引用転載開始)
今月の言葉~平成二十九年水無月 月まいり~
水無月の夏越の祓する人は
千年の命延ぶというなり
(「拾遺和歌集」よみ人知らず)
夏越に大祓をする人は、長生きするという意味。「大祓」は、普段の生活において背負ってしまった罪や穢を祓う神事のこと。罪とは「積み」で、長い間に知らず知らずのうちにたまったもの、穢は「気枯れ」でやる気がなくなったものです。
人は、知らず知らずの間に重ねた「罪」の分だけ周囲に支えられ助けてもらっています。日頃の感謝の気持ちを忘れないようにしましょう。まだ「大祓」神事の際は、近くの神社へお参りして半年間の罪・穢をお祓いしてもらいましょう。
(引用転載終了)
6月30日(金)大安 大祓 当日は参拝させて頂きます。よろしくお願い致します。
柴田佳一 拝、
龍雲です!ごしんじょう療法を学びに貴峰道に伺った時に目にして以来12年ぶりでしょうか!?
日本列島は龍の形をしている!と以前に聞いたことがあります。また!世界の雛形であると・・・・。??
北海道がアメリカ大陸で、本州がアジア大陸、四国がオーストラリアで、九州がアフリカ大陸であると・・・。??
確かに日本列島を広げたものが、そのように対応しているようにも見えるのが不思議な感じがします。龍はよく玉を持つ姿で描かれているものが多く、神社の狛犬も玉を持っています。
龍の住まう国、日本には何か大切なものが隠されているのかもしれませんね!僕は何故かそう思います。
越中一宮高瀬神社の拝殿右横から本殿を眺めました。「本当にいつもお世話になりありがとうございます」眺めたと言いましても陽射しがあまりにも眩しくて直視ができない程でありました。また家族で伺わせて頂きたいと存じます。
柴田佳一 拝、
越中一宮高瀬神社にて今月の言葉を頂いて参りました。本当にいつもお世話になりありがとうございます。先日も従妹の結婚式に出席し、縁結びの神様の御前で二人の門出を祝って参りました。越中一宮高瀬神社今月の言葉を紹介させて頂きます。
(転載開始)
父母に孝に 兄弟に友に 夫婦相和し 朋友相信じ
(父母に孝行し、兄弟は仲良く、夫婦は仲睦まじく、友達とは信じ合い)
『教育勅語』より抜粋。両親には「ありがとう」と感謝し、兄弟とは「一緒に頑張ろう」と仲良く励ましあい、夫婦は「二人で助け合おう」と協力し、友達とは信じ合えるようにしようという意味。
旧来の教えは、価値観の変化によって徐々に忘れられていきます。しかし、一二〇年以上前に発布された『教育勅語』の右の言葉は、時代を問わず、人々が大切にしなければいけない不変の考えと言えるでしょう。勅語の一文に限らず、先人の教えの中には、現在では失われつつある大切なことが記されており、「古い考えだ」と切り捨てず、一度意味を考えてみましょう。
(転載終了)
最近!『教育勅語』という言葉をよく耳にすると感じているのは僕だけではないと思います。僕はこの時期にこのようになっているのは、何かしら意味があるのではないかと感じています。
越中一宮高瀬神社今月の言葉を頂いて、日本人が失いつつある大切なものは「古今東西不変」であると改めてもう一度!刻み込む思いでいます。
ありがとうございます。
柴田佳一 拝、
5月7日に誉建神社火祭りが厳かに行なわれ、その火産靈鎮祭之符が、各家庭に届けられました。
「ほむすびちんさいのふ」と読みます。イザナミノミコトが最後に産んだ神さま『火の神』だった為に火傷を負い亡くなってしまいました。神話は奥が深いですね。
火は料理をするにも暖をとるにも大変ありがたいものです。然し!使い方を間違うと勢いを増し、もの凄い速さで広がって行きます。安易な気持ちで扱うことの無きようにしたいと思います。
その思いを大切に台所に納めさせて頂きました。
どうぞよろしくお願い致します。
柴田佳一 拝、
昨日は5月7日、誉建神社火祭りに参拝させて頂きました。河合宮司さんはじめ、三役・宮委員、地区委員
・消防隊長・有志の皆さんが参列され、僕も末席に加えさせて頂きました。「ありがとうございました」
今回の火祭りでは、区長さんから「火祭りの謂れ」が話されました。昭和19年5月7日、一町五ケ村を焼く大火が発生。当地区では8軒を焼く惨事となりました。この惨事を風化することなく後世の人々に語り継ぐことが大切。という考えのもと!大火の当日である5月7日を誉建神社火祭りとして毎年執り行われています。(拝)
以下、被災された家の当主が保存されていた昭和19年5月7日発行の北日本新聞を一部引用転載致します。(現代文にて転載)
(引用転載開始)
出町附近の大火 一町五ケ村を焼く
七日午前十一時五十分西砺波郡藪波村浅地吉岡太郎平さん方附近から出火住宅四戸を全焼、同村東北水島村に飛び火して五戸を焼き、若林西中六戸、狐島七戸を焼き、更に林村に飛び火、日詰一戸、荒屋敷四戸の一部まで八㌔にわたって延焼計二十九戸を焼いて鎮火したが、更に午後二時頃東礪波郡出町川原新町高桑兼造さん方附近より出火、川原新町、木舟町、一番町を全焼、東町の一部(主なる建物=神明社眞如院、出町劇場、園芸試験場出町分場、修練道場、比翼園等)を焼き、火は更に庄下村に飛んで十一戸を焼き六時鎮火した。焼失総戸数約二百五十戸、なお出町の火事で城端線は高岡=油田間、城端=出町間折り返し運転している。
判明する罹災者左のごとし (以下省略)
(引用転載終了)
まだ戦時中の出来事であり、知り得る方も限られていることも事実です。この機会に語り継ぐ大切さを気づかせてくださいました区長さんをはじめ、みなさんに感謝を込めて・・・。
本当にありがとうございました。
柴田佳一 拝、
今朝8:00から、夜高祭りの準備作業に行って来ました。有志一同一致団結して作業に当たる為、仕事も捗り約50分で終了しました。
明日からいよいよ夜高行燈の製作がスタートします。地区のたくさんの方々が、仕事を終えてから作成に当たることになります。もちろんすべてを終えてからの懇親会もあり、賑やかな1ヵ月間となりそうです。みなさん何卒よろしくお願い致します。
今年も日本全土の五穀豊穣をこころから願っています。
柴田佳一 拝、