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義経岩から

富山県高岡市の雨晴海岸にあります義経神社です。奥州藤原氏を頼りに向かう途中の俄雨、この地にて雨やどり。このことから雨晴と呼ばれるようになりました。(アマハラシ)

 

源義経公にまつわる伝説は多岐に渡り、奥州から蝦夷に渡ります。海岸沿いに様々な伝説が残っています。また!北海道から大陸に渡り、何と!チンギスハンとなったという話しまであるのです。

 

源義経を「ゲン・ギ・ケイ」と読みます。それを大陸の読み方にすると「チン・ギス・ハン」となるのだとか。また!ロシアにある「ハンガン岬」や「笹竜胆」の紋など不思議と関係のありそうな名称や物証の数々に驚きを感じています。歴史は決して教科書の通りではなくて真実は敢て隠されていることが多いのです。そのほうが夢があるという事なのかもしれませんね。


如意の渡し

 

室町時代の「義経記」には、奥州に落ちのびる源義経が如意の渡しに乗船しようとした時、渡守の平権守(たいらのごんのかみ)に義経であることを見破られそうになった時に、弁慶の扇で義経を打ち据えるという機転で無事乗船したという話があります。富山県高岡市伏木駅裏にその如意の渡しがあり、銅像は現在伏木駅前にあります。弁慶の存在は、義経公にとって大きく、そして愛情深いものであったろうと感じます。


ロックオン

ロックオンとは、射撃統制装置やミサイルに内蔵する目標追尾機構が、その目標をセットし、射距離・方位角・高低角を自動的に追跡可能状態にすること。

 

今日の午後、往診に出ようとした時に逞しい青年が来てくれました。誰かと思いきや!自衛隊に入隊した、こうちゃんでした。家族で大歓迎して話を聞くと、7月に金沢駐屯地に配属。近くにはなるけれどなかなか会えなくなるので、今度帰る時は一緒に焼き肉を食べようと約束して別れました。

 

「こうちゃん!本当に逞しくなったね!今度の焼き肉楽しみにしてるよ~」^^/


西郷どんの国父さま

西郷どんで、俳優青木崇高さんが演ずる島津久光公「国父さま」です。1817年12月2日、薩摩藩10代藩主島津斉興の五男。11代藩主、兄の斉彬の遺命で、実子忠義が12代藩主につき、久光は「国父」として薩摩藩の実権を握ります。公武合体の為、兵を率いて京都に入り、寺田屋騒動では藩内尊攘派を武力鎮圧!西郷どんでは、有馬さぁの死を放送した部です。さらに久光は勅使大原重徳を奉じて江戸に向かい、幕政改革を推し進めます。新政府では左大臣に任ぜられます。

 

僕は、島津久光「国父さま」は、藩主以上の才能を持ち合わせた方だと思います。それは、無礼なことを言い放った大島(西郷どん)を結局は切腹させなかったこと!下級武士の大久保さぁを抜擢して傍に置いたこと。

 

先君斉彬公と同じく身分を問わず!対面して話を聞く姿は、ジョン万次郎と斉彬公を思わせるものだと僕は思うのです。本当は名君と呼ばれる程の方であるのに無位無官であるのは胸が痛くなる思いです。

 

西郷どんの青木崇高さん演ずる国父さまに注目です。


西郷どんと共に

  • 幕末の剣豪、人斬り半次郎と恐れられた中村半次郎です。後の桐野利秋(きりのとしあき)。天保9年(1838)~明治10年(1877)薩摩藩士・軍人。禁門の変での活躍が、西郷どんに認められるきっかけとなります。会津征討軍軍監のち陸軍少将。西南戦争では熊本城攻撃を指揮するが、城山で戦死。

 

西郷どんでは、芋をとったと農民に追われる少年が、棒を振り回していたシーンがありました。それが半次郎です。西南戦争で西郷隆盛の死を見届けたあと敵に向かうところを頭に銃弾を受け、戦死。その体には、無数の刀傷と貫通した銃創があったといいます。

 

最後の最後まで、西郷隆盛と共に生きたサムライであった桐野利秋!男である。写真の女性は、大坂の「煙管店」村田忠兵衛の娘『さと』さん。^^


熱中症対策!

今日の北日本新聞の気象情報を見ると、最高気温は平年より大幅に高く、7月中旬から下旬並み。水分をこまめに補給するなどして熱中症対策を。富山で30℃砺波で29℃としています。今日の砺波では『となみ夜高祭り』が開催されます。多くの人達が夜高行燈を五穀豊穣、豊年満作を祈って今日、明日の為に製作に当たってきました。暑い中、体調を崩さないように頑張ってください。

 

さて、完璧な熱中症対策は、暑い場所を遠ざけることですが、威勢の良い祭りでは暑い中を熱く盛り上げるものですから、それは無理というものです。

 

ごはんを中心とした日本食を積極的に頂くことで完璧な「熱中症対策」と成り得ます。減塩を声高に言うのではなく『自分の味覚に正直に丁度良い塩梅の味噌汁と漬物とごはんを頂く』ことなのです。

 

「人」に「良い」と書いて『食』となりますが、正にその通りで「氣」を高めるものは正に『米』であると漢字は教えてくれています。

 

熱中症対策は、我々の最も身近にある『食』にあるのです。もう一度!ひと昔前の生活に戻ってみませんか!?野菜作りもひとつの大きなきっかけになるかもしれません。

 

「熱中症対策に日本食」一考一助になればと存じます。柴田佳一 拝、


こうちゃん頑張れ!

自分の夢を追い、自衛隊に入隊した!こうちゃんが顔を見せてくれました。男らしくキリッとした顔の変化と逞しさにビックリ!!

 

候補生としての生活にも慣れてきたようで、とてもうれしかったです。おみやげに「断固日本」を「来るなら来い」の袋に入れて持って来てくれました。それを見た瞬間に何故か不思議と武者震いがしました。

 

「こうちゃん!頑張れぇ~。こうちゃんは僕たちの誇りだあ~っ!6月も待ってるぞぉ~っ!」^^/

 


懺悔、懺悔、六根清浄

「ざんげ、ざんげ、ろっこんしょうじょう、懺悔、懺悔、六根清浄」


ひー様

徳川最後の将軍!徳川慶喜公です。「西郷どん」ではまだ「ひー様」一橋(ひとつばし)様なのです。男前の将軍様ですね!水戸様ですので、ご皇室を大切にされているお家柄。無血開城は、その為であると・・。

「さすがです!ひー様」^^

 

 


心魂

 

 

 

 

 

 

 

 

4月1日に越中一宮高瀬神社にて授与された「心魂」です。古来より樹木には、精霊が宿ると言われ、日本人は、森を大切にして共存の道を歩んできました。中でも楠は、除災招福の木とされ、これを丸い木玉に調整しました。

 

うさぎは、神話「因幡の白うさぎ」にて御祭神「大国主命」のご神縁を頂いた縁深き動物です。紋様は、蒲の穂のなかを元氣いっぱいに白うさぎが駆けている様子で、高瀬神社の神紋の一つになっています。

 

心魂とは「心身ともに氣力が満ちている」という意味です。貴殿の大神様へのお気持ちが大前に届き、更なる御加護がありますよう祈念してあります。ご寄付の感謝の意を込め、授与致します。『越中一宮高瀬神社社務所』

 

越中一宮高瀬神社では、御社殿屋根修復のために銅板の奉納にご協力をお願いしておられます。奉納金額は一枚二千円で、銅板に名前や願い事を記入してまいりました。

 

ありがとうございます。

柴田佳一 拝、