誉建神社参拝
昨日、大嘗祭の前に家族で誉建神社に参拝して参りました。秋晴れの佳き日とあって足取りも軽く、非常に気持ち良い参拝となりました。国民のひとりとして天皇陛下にお慶び申し上げて参りました。今晩から両日にわたって大嘗祭がいよいよ行なわれます。柴田佳一 深拝、
唐津くんち
「エンヤエンヤ」「ヨイサヨイサ」のかけ声で曳き廻される『唐津くんち』写真は『米屋町の酒吞童子と源頼光の兜』と若衆です。唐津神社秋の大祭に曳き廻される荘厳なお祭りなのです。平成27年にユネスコ無形文化遺産に登録されています。令和となって初めての秋季大祭!八百万の神々がおかえりになられた11月2日、3日、4日の3日間に開催されています。「くんち」って一体何だろう?調べてみると、九州北部における秋祭りの呼称。収穫を感謝して奉納される祭りのこと。とあり、旧暦の重陽の節句(9月9日)に行なうことから「九日説」ほかに「供日説」「宮日説」があります。初くんち後に『おこもり』という共同飲食がありますが、そこからきているのかもしれません?一度参加してみたいなどと思っている次第です。^^
今日から11月です
今日から11月です。八百万の神々が出雲からお帰りになられ、何故か賑やかな感じがするのが不思議ですね。早速!昨晩に神棚を整え、令和1年11月1日の1・11・1ということで、祝詞を上げさせて頂きました。清々しい気持ちにて残り61日を過ごさせて頂きたいと思います。いつも本当にありがとうございます!感謝。この子と記事は無関係です。^^富山県 柴田佳一 深拝、
御即位の日に龍
即位礼正殿の儀が行われる10月22日AM10:00頃に柴田接骨院前の上空に出現した龍雲です!もう10秒早く見つけていれば、もっと凄かったと思います。角が生えていたのが、チョット離れていて残念。胴体も長く本当に「龍」なのです!雨の予報が晴れになったことも併せて「天の計らい」を強く感じた次第です。
ラストサムライ
上総国請西藩主であった林忠嵩は、将軍徳川慶喜が大政奉還をしたことで脱藩を決意します。お殿様が脱藩したのです!藩兵を率い、伊庭八郎・人見勝太郎ら旧幕臣遊撃隊と共に官軍と戦います。
その後、東北・越後諸藩と奥羽越列藩同盟を結成し、新政府に対抗姿勢を鮮明にしました。明治元年(1868)4月、新政府軍は東北に侵攻し、東北戦争が始まりました。徳川家一の臣として主家の危機に立ち向かう決意のもと仙台藩と共に進撃しましたが、新政府軍の大砲の音に逃亡する仙台藩兵!仙台にて降伏。
降伏後、唐津藩内に禁錮されましたが明治5年に釈放されます。その後北海道の商家、剣術を教えるなど苦難の20年を過ごされますが、明治27年に男爵を授かります。亡くなる前に「辞世の句は?」と尋ねられ『明治元年にやった』と答えられたといいます。その句とは『真心の あるかなきかは ほふり出す 腹の血しおの 色にこそ知れ』です。
林忠嵩 嘉永元年(1848)~昭和16年(1941)
亡くなられた後、新聞に「最期の大名」として写真と記事が掲載されました。正に「ラストサムライ」と呼ぶに相応しい方であったと思います。いつの日か、大河ドラマになってほしいと僕は願っています。
初代金閣寺の写真
京都市北区にある臨済宗相国寺派の寺院で正式には鹿苑寺。相国寺の塔頭寺院のひとつ。舎利殿「金閣」が有名であることから「金閣寺」と呼ばれている。鎌倉時代の公卿、西園寺公経の別荘を足利義満が譲り受け、山荘北山殿を造ったのが始まりとされている。金閣を中心とした庭園と建築は極楽浄土をこの世に表したとされ、有名なあの一休禅師の父、後小松天皇を招いたり、中国との貿易を盛んにして文化の発展に貢献した。この時代の文化を「北山文化」という。足利義満の死後、遺言によりお寺となり、無窓国師を開山とし足利義満の法号「鹿苑院殿」の二文字をとって「鹿苑寺」と名づけられた。