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天神講(てんじんこう)を考える。2

左の菅原道真公の掛軸は、僕の為に祖父が描いてくれた宝物です。母の父城寳清太郎

(清芳)の作品で、幼少より「勉学に励み立派になりなさい」という、祖父の思いが

込められているのを感じたものです。

 

もう少し励んでいればよかったのかなあ?と反省し頭を掻いている次第です。(笑)

毎年そんな事を繰り返すも齢50をとっくに過ぎてしまって反省にも年季が入ってしまいました。(大笑)

 

前回の『天神講を考える』では自論を含めて書かせてもらいましたが、やはり越前、越中(福井県、富山県)の人ならば、日本全国で行われている行事だと未だに信じていると思います。

 

経済におけるブラックスワンにも似た「エエ~ェッ!?」という感じでしょうか?いや、何も失う物は無いので違うかな・・・?

とにかく思い込みが吹っ飛ぶ感じですね。

 

教育熱心な越前藩主松平春嶽公が勧めた事が、越中富山の薬売りによって広がった。という説もあるということで、僕はそれをも認めた上でもう少し自論を書いてみようと思います。

 

越中富山の薬売りの仕事は、只単に売薬のみならず諸国の情報を集めるに容易く、表の仕事有れば裏も有りであっただろうと推察しています。広めれば広めるだけ富めるはずなのにそうはしなかった。そんな事よりももっと重要な仕事を担っていた。

 

15・6世紀より以前は薬と云えば修験道の話になると思います。越中富山は立山があり修験道と売薬は深い繋がりを僕は感じるのです。やはり都からの密命を受け守護する為に、越前と越中を中心に天神信仰を広めたのだろうと。

 

都を。いや、言い方を変えれば、この国を守護する為にそうしたのではないだろうか?と思うのです。

 

臥牛においても、道真公と切っても切れない結びつきをもって犠牲の犠、牛偏に義であり、牛と道真公を一緒にして義を付ける。即ち

道真公には非は無く、義があることを皆が存じております。と・・

 

神道においては、伝説的であったりと比喩的表現がいたるところに鏤められており、またヒントもその中にあったりと普通に考えてもなかなか分からぬ様になっており、普通でない僕の頭には、どうも引っ掛かるようなのです。(笑)

 

色々と書きましたが、あくまでも自論を展開した迄であり、益々色んな方々とお会いしてお話を聞かせて頂こうと思っています。もしよろしければコメントやご連絡をこころよりお待ちしております。

                            拝、

 

 

 

 

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