昨日は、すべてお休みにしてのんびりと過ごしました。やはり名古屋は暑かった!いや従弟のおかげで熱かったのだろうと思いました。おめでとう!そしてありがとう!末永くお幸せに!
題名は『思い込みで視野を狭めるな!』というある意味厳しいものになっています。何故か!それは昨日放送の『八重の桜』から、気になること是あり!とばかりに書いてみようと思ったのです。
僕は一個人として、古くからある宗教はそれぞれに素晴らしく存在する奥深い意味があるのだと思っています。それぞれを等しく見る目やこころは、今を生きる人間にとって必要不可欠なことであると強く思います。
因みに我が家には、どっしりとした神棚と仏壇が初代からの信仰で大切にしています。古くからの教えで、神仏習合を表し先に書いたように奥深い意味を教え!伝えることであると僕は信じています。
さて、昨日の『八重の桜』には学校で今まで学んできた生徒の他に
熊本洋学校からクリスチャンの熊本バンドといわれた生徒が転校してきた。聖書を学び英語の流暢なことといえば比類なき!と、云わざるを得ないすばらしさです。
学んできた者と、学び始めた者との違いは傾きが大きいのは当り前であり、ひととして分かることであるはずが過激な熊本バンドの転校生は学び始めた学生を出来ぬ者と差別し、それでもついてこれぬ者を退学させるように要望書を提出!校長の新島襄も退任させ外国人を校長にせよ!ともう過激を通り越しやりたい放題。
そんな状況のなか新島襄が伝えた『こころの授業』が僕のこころに響きました。テレビだと分かってはいても今の僕のこころにはとてつもなく大きく綺麗な響きだったのです。
自分の考えは正しい!邪魔者は消えてしまえ!来るな!!といった状況の中で新島襄は、自分を愛するように隣人を愛せよ!ひとがひとを裁いてはならない!と、説きます。同志社では学ぶ事とこころを育てる場所であると。
思い込みから偏見の目で他人を見、言葉で攻撃するなど考えられぬことです。それは英語が堪能で、聖書を記憶しているだけに過ぎず聖書の教えを理解出来ていなかったのです。
ひとは完全ではなくその時に間違っていたのだと思うのです。
間違っていたなら謝罪し、落着いてから戻れば良いと思うのです。
思い込みで視野を狭めてはいないか?僕自身!そのような、行いや振る舞いはしていないだろうか?ちょっと立ち止まってゆっくりと深呼吸してみたいと思います。
思い込みのおそろしさをあらためて教えてくれた今回の八重の桜でありました。ほんとにいつもありがとなし!だぎんじょ自分自身の思い込みは、さすけねぇか?