昨日は5月7日、誉建神社火祭りに参拝させて頂きました。河合宮司さんはじめ、三役・宮委員、地区委員
・消防隊長・有志の皆さんが参列され、僕も末席に加えさせて頂きました。「ありがとうございました」
今回の火祭りでは、区長さんから「火祭りの謂れ」が話されました。昭和19年5月7日、一町五ケ村を焼く大火が発生。当地区では8軒を焼く惨事となりました。この惨事を風化することなく後世の人々に語り継ぐことが大切。という考えのもと!大火の当日である5月7日を誉建神社火祭りとして毎年執り行われています。(拝)
以下、被災された家の当主が保存されていた昭和19年5月7日発行の北日本新聞を一部引用転載致します。(現代文にて転載)
(引用転載開始)
出町附近の大火 一町五ケ村を焼く
七日午前十一時五十分西砺波郡藪波村浅地吉岡太郎平さん方附近から出火住宅四戸を全焼、同村東北水島村に飛び火して五戸を焼き、若林西中六戸、狐島七戸を焼き、更に林村に飛び火、日詰一戸、荒屋敷四戸の一部まで八㌔にわたって延焼計二十九戸を焼いて鎮火したが、更に午後二時頃東礪波郡出町川原新町高桑兼造さん方附近より出火、川原新町、木舟町、一番町を全焼、東町の一部(主なる建物=神明社眞如院、出町劇場、園芸試験場出町分場、修練道場、比翼園等)を焼き、火は更に庄下村に飛んで十一戸を焼き六時鎮火した。焼失総戸数約二百五十戸、なお出町の火事で城端線は高岡=油田間、城端=出町間折り返し運転している。
判明する罹災者左のごとし (以下省略)
(引用転載終了)
まだ戦時中の出来事であり、知り得る方も限られていることも事実です。この機会に語り継ぐ大切さを気づかせてくださいました区長さんをはじめ、みなさんに感謝を込めて・・・。
本当にありがとうございました。
柴田佳一 拝、