幕末の日本の姿を優れた写真技術で撮影したF・ベアトの記録のなかに横綱土俵入りの集合写真があります。各地の風景や様々な人々など、とてもきれいに撮影されていて「一見の価値あり」です!
本来ならば土俵の上での横綱土俵入りですが、撮影し易いように室内で!しかも露払いは省かれていますが、勝負審判まで入れた集合写真になっています。
さて!本題に入ります。左の横綱は、11代横綱不知火光右衛門で右は、13代横綱鬼面山谷五郎です。相撲錦絵では大きなアンコ型で描かれていますが、実はソップ型に近い体型であったことが分かります。現代の力士の体は、昔と比べて断然大きいのです。^^
「あれ?」と思われた方は、相撲通!だと僕は思います。不知火の左手が脇についています!現在の横綱の型でいえば鶴竜の雲竜型になります。鬼面山は両手を広げる横綱白鵬、日馬富士の不知火型を表しています。「???」
そうなのです!本当は雲竜型と不知火型が逆転しているのです。僕が子供の頃に、相撲好きの近所のおじいさんに聞いた話では「富山県出身の横綱梅ケ谷藤太郎が不知火の型を美しいまでに土俵入りして広まり、太刀山峰右衛門が雲竜の型を受け継いだのだ」と。
角聖常陸山の型もあったと聞きました。それは、過去にNHKで放送された最古の映像に横綱小錦八十吉の土俵入りに梅ケ谷藤太郎や常陸山の横綱土俵入りを紹介していましたので、合点がいきます。
現代の横綱土俵入りの型は梅ケ谷型と太刀山型と呼ぶほうが良いのではないかと思います。写真の両横綱の為にも訂正してあげてほしいと思うのは僕だけではないと勝手に思っています。^^