袴田さんが娑婆に48年ぶりに戻って来られました。48年という歳月とは如何なものであろうか。
『娑婆』(しゃば)という言葉を使用したのは、正に過ぎ去った時代の言葉であるからです。
只、本当に執行されなくて良かった!と「こころから思う」のと「出来なかっただろう」と思う二つの思いが僕の中にあります。 もし執行されていたらすべてが闇の中に消されていたのです。
袴田さんの裁判を担当した熊本元裁判官の2007年の告白された中に「無実であるべき袴田巌君を有罪にしたという事で良心の呵責に本日まで悩まされている」と、あります。
事実は何故隠されてしまったのか!?
嘘が分からない様にそれをまた嘘で固めていくという!正に雪だるま式で大きく固められた図式であろう事は否定できないと思います。法律を学んでいる筈の方々や正義を遵守する筈の方々がです。
この方々の世界が今も昔も変わらないのであれば、それは人の為にではなく、自分や自分の居る立場の事しか思えないという世の中の歪みであると断言できます。
元々『ひとを裁いてはならない』という言葉を忘れてしまった事がはじまりなのかもしれません。
袴田巌さんも青い空を見上げて、大きく深呼吸をされたであろうと感じ左上の写真を載せました。僕は48年前は5歳であり今は53歳になっています。取り戻せるものなら・・・・。
これまでに冤罪であった正義のひとを何人見たであろうか?
有罪に加担した者が罰せられないというこの世の歪を何と思うか?
僕は冷静になって問いかけたいです。(礼)