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木曾義仲と宮崎太郎 2

富山県内最古の山城である宮崎城は城山(標高248m)にあり、平安時代末期から戦国時代にかけて国境を巡る激しい攻防を繰り広げてきた天然の要塞でした。木曾義仲は、以仁王死後に1,182年(寿永元年)京都から脱出した第一皇子「北陸宮」を還俗させ奉りました。その「北陸宮」を宮崎太郎長康が迎えて護衛し、領地内に「御所」を造りました。義仲が何故に宮崎太郎長康に「北陸宮」を預けたのか?その理由の一つは、宮崎城が義仲にとって本拠地の信州に近く、地理的条件に恵まれていたこと。もう一つは義仲の長男の義高(清水冠者)の母が宮崎太郎長康の娘であったという。(室町時代製作「清水冠者物語」)これは史実か否かは明らかではありません。然しながら、義仲と宮崎太郎長康との間には、切っても切れない縁があったのかもしれません!義仲は、宮崎太郎長康をはじめとした越中武士団と共に俱利伽羅峠の戦いに大勝利し、その勢いのまま進軍!平家を京都から追い出し、上洛を果たします。義仲、征夷大将軍に任ぜられます。上洛後は皇位継承に「北陸宮」を即位させるよう推挙し、後白河法皇と対立。そして源頼朝が送り込んだ範頼・義経らの軍勢に敗れ、近江国(滋賀県)粟津にて討ち死にします。『平家物語」では『朝日将軍』(旭将軍)とありますが、宮崎太郎長康の朝日とも被るのも不思議な縁なのかもしれません。

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