巴御前の生涯
木曾義仲公が巴御前に落ち延びるよう命じているところです。義仲公は、自害する場所を探していた処!馬が湿地に脚をとられ、そこに矢が放たれ絶命したと伝わります。巴御前は義仲公の命を受け落ち延びましたが、鎌倉の頼朝に呼び出され和田義盛の妾となります。『鎌倉殿の13人』のひとりですが『武骨さ』を和田義盛にも感じています。和田合戦の後に源平合戦俱利伽羅峠の戦いで共に戦った石黒氏を頼り、越中國福満(富山県南砺市福光町)に身を寄せ、尼となり木曾義仲公と和田義盛の霊を弔いながら91歳の生涯を終えたと伝えられます。「巴は義仲に従い源平砺波山の戦の部将となる 晩年尼となり越中に来たり九一歳にて死す」(巴塚碑文)木曾義仲公は31歳の生涯であり、巴御前は義仲公の分まで懸命に生き切ったのだと僕は思います。そして青木崇高さん秋元才加さんお疲れさまでした。
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