上総国請西藩主であった林忠嵩は、将軍徳川慶喜が大政奉還をしたことで脱藩を決意します。お殿様が脱藩したのです!藩兵を率い、伊庭八郎・人見勝太郎ら旧幕臣遊撃隊と共に官軍と戦います。
その後、東北・越後諸藩と奥羽越列藩同盟を結成し、新政府に対抗姿勢を鮮明にしました。明治元年(1868)4月、新政府軍は東北に侵攻し、東北戦争が始まりました。徳川家一の臣として主家の危機に立ち向かう決意のもと仙台藩と共に進撃しましたが、新政府軍の大砲の音に逃亡する仙台藩兵!仙台にて降伏。
降伏後、唐津藩内に禁錮されましたが明治5年に釈放されます。その後北海道の商家、剣術を教えるなど苦難の20年を過ごされますが、明治27年に男爵を授かります。亡くなる前に「辞世の句は?」と尋ねられ『明治元年にやった』と答えられたといいます。その句とは『真心の あるかなきかは ほふり出す 腹の血しおの 色にこそ知れ』です。