伊勢から戻った7月28日あたりから田んぼを防除する光景がよく目につきます。神宮さんの神域に入らせて頂いてからは何かしら違和感を感じることがあります。
ひとつをあげてみると今の時期には地元の誉建神社(ほんたけじんじゃ)にて、虫送り祭りが行なわれます。そうして氏子宅に虫送りの紙垂が配布されます。なので、虫送りの紙垂を田んぼにそえておいての防除というのは違和感というか・・?と思ってしまうのです。
各地で虫送りやねつ送りの行事が行なわれています。が!やはり農薬に頼りきってしまう現実!う~ん!何とかならぬものか?と、スッキリしない頭で思いを巡らせているが、スッキリとした名案が浮かばない!
茶道の先生にぽつりと打ち明けてみると、やはり流石である!
先生は能登のお生まれで子供のころ松明を持ち虫送りをした経験があるそうです。農薬に頼りきった現代農業を考えなおし少しでも元に戻そうとするのであれば先生は誘蛾灯!と、おっしゃいました。
誘蛾灯は僕の子供時代には虫を捕まえるひとつの手段でした。夜中にこっそりと出向きクワガタ虫やかぶと虫がいないか見に行くのです。大抵は上級生に先を越されているのですが・・・そんなことに真剣だったことを思い出します。
誘蛾灯とは?
誘蛾灯(ゆうがとう)とは、光に集まる性質(走行性)をもつ昆虫を灯火で誘引する装置をいう。誘蛾灯の起源は、光源に松明(たいまつ)や篝火(かがりび)を用いて、ウンカやニカメイガを誘引して焼き殺したことにさかのぼる。時代が移り、光源は行灯(あんどん)、カンテラ灯、アセチレン灯へと進む。大正時代に入ると農村の電化が進み、光源は電球に変わる。第二次世界大戦前には、蛍光灯が一般家庭に普及する以前に誘蛾灯の光源として用いられ、戦後まもなくまで続くが、占領軍の指令や農薬の普及によって急激に減少し、誘殺を目的とした誘蛾灯は、特殊な害虫を対象とする以外は、ほとんど用いられなくなった。一方、誘蛾灯を害虫の発生状況を知ったり、発生予知に利用しようとする気運が明治時代に起こり、現在では、この目的のために広く用いられ、予察灯とよばれている。予察灯は、その年の発生状況の把握と発生予知のための長期間のデータ蓄積とを目的とし、都道府県の病害虫防除所によって、害虫の発生期間中、日別に調査されている。予察灯の光源は対象作物や害虫によって異なり、高圧水銀灯、青色・白色蛍光灯、ブラックライトなどが用いられているが、一般作物では60ワット白熱灯を用いることが規定されている。誘蛾灯には水盤に油を滴らして殺虫する湿式と、殺虫箱を用いる乾式とがあるが、現在の予察灯は乾式と規定され、光源 、ロート、殺虫箱とで構成されている。 (執筆者:岸野賢一さんより引用)
現在は予察灯というらしいが、田んぼ一面に農薬を散布するよりいいのではないか!と、僕は思います。少しでも進むのではなく、ほんの少しだけでも昔の農業に戻し、これからを担う子供達に安心安全といえる食を継承させることが出来れば!と強く思うのです。
妻の実家でお米を作るようになり日本人の主食を見つめ直すようになりました。伊勢から戻ってから虫送りのことや防除などを見て思うこと気になっていることを書いてみた次第です。