2015年12月31日!今年最後の北日本新聞にとても嬉しい記事が載っていました。僕は今年の締めに!このブログを綴る事にしました。1961年に販売された初代クラウンです。僕と同い年の54歳です!もう少しで55歳ですが、今!レストア中なのです。よくぞ「富ナン」が現存していたものです!本当に感動ものです。
以下、北日本新聞より引用転載致します。
(引用転載開始)
半世紀前の「富山ナンバー」の名車を復活。富山トヨタ自動車(富山市千歳町)が、1961年に販売した初代「クラウン」のレストア
(復元)を進めている。医師や自動車愛好家らオーナーたちが大切に乗り継いだだけに「50年以上前の車とは思えないほど状態が良い」と社員たち。作業は来年6月に完了。新車同様の状態に戻して展示し、日本の工業技術の高さやものづくりの大切さを伝えるシンボルにするという。(経済部・室田雅人)
半世紀ぶり復活 富山トヨタ来年6月時代超え技術伝達
富山トヨタ自動車は、2017年に創業100周年の節目を迎えることから、全社員約300人が参加する名車レストアプロジェクトを企画。車種には知名度とブランド力を誇るクラウンを選んだ。初代クラウンの発売は1955年。「富山で登録された富山ナンバーは、たぶん残っていないだろう」。品川祐一郎社長(45)は、そう思っていたが、知人から富山ナンバーが現存すると聞き、所有者に売却してくれるように依頼したところ、快く応じてくれたという。調べてみると、初代オーナーは高岡市の医師の故・塚田三郎さんだった。まだ富山にほとんど車が走っていない時代で、往診に使ったという。妻の俊子さん(86)=高岡市駅南=は「当時、富山県内で売られた4台のうちの1台だった」と振り返る。長男で高岡駅南クリニック院長の邦夫さん(64)は「家族での釣りやボート、ドライブなどにも使っていた。乗った後は手洗いを欠かさず、子どもながら感心した」と話す。約30年間乗った末、新車に乗り替えることとなり、県内の愛好家に売却した。ことし9月、塚田さんの家族は、富山トヨタ自動車からクラウンが今も残っていると教えてもらい、レストアプロジェクトの説明を受けた。50年以上過ぎても昔と変わらない車の写真を見た邦夫さんは「懐かしい記憶がよみがえった。ずっと大切にされていて、父もきっと喜ぶ」と話す。富山トヨタ自動車は8月に作業を開始。ボディーを解体し、部品の洗浄やさび取りなどを進めており、来年6月に復元が完了する。その後は、富山市新庄町の研修センター隣に設ける専用スペースで展示し、若手の自動車整備士らに、ものづくりの大切さを伝えていく。品川社長は「素晴らしい車と巡り合えた。大切に乗ってきたオーナーの思いを感じる。社員の絆やチームワークを深めるとともに、時代を超えた技術のシンボルにしたい」と話した。
(引用転載終了)
昔の技術は本当に素晴らしいものであり、今の「もの」とは違う!匠の技術なのです。コンクリート建築は巨大で圧倒されますが、城や神社仏閣などの細かな技術は、また違う意味での圧倒的なものがあるのです。
日本人のものづくりに対しての思いというものは、その「もの」に籠ります。機械がつくるものには決してない何かがあるのだと僕は思います。
今年の最後の日に素敵な記事に出会えて、とても嬉しくそして僕の愛車も大切にしていこうと改めて思いました。登場された方々に感謝申し上げる次第です。
そして!今年は本当にたくさんの方々に拙ブログを目にして頂いたこと!こころより感謝申し上げます。新年度も何卒よろしくお願い致します。
柴田接骨院 院長 柴田佳一 拝、