人力車による交通手段は、それまでの駕籠かきのそれを上回るものとなりました。「俥」とも表記されています。諸説ありますが、記録上では日本の「和泉要助」「高山幸助」と「鈴木徳次郎」の3名が『人力車』の発明者として明治政府から認定されています。
その後!東南アジア諸国に輸出して広まりました。特にインドでは明治40年代に年間1万台が輸出されて「リキシャ」から「リクシャ」と呼ばれるようになりました。
それから時代は変わり、自転車に付けた「サイクルリクシャー」からバイクに付けた「オートリクシャー」となっていきました。
日本から世界へと羽ばたいたのは意外にも早かったのですね!?
これは物凄いことだと僕は思います。
エコ!地球にやさしい!などなど。
昔の日本に戻したいなあ・・・。
と!独り思っています。^^